E-BOMBERのアホアホブログ

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わしの鉄道事情大研究・福知山線(1)

 山陰地方と山陽地方を結ぶ鉄道路線のことを陰陽連絡線言うたりする。山陽新幹線開業前はそないに重要視されんかったが、その後は山陰線と新幹線の輸送の落差が激しいこともあって重視され、特に伯備線は振り子特急を走らすなど強化が図られるようなった。

 一方で、福知山線は大都市大阪が事実上の起点ちゅうこともあって新幹線開業前から陰陽連絡線として重要視されとって、播但線がそれを補完する役割を果たしてる。加古川線も一応は陰陽連絡線やけども、こちらはあんまし重要視されてへんな。

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 ところで、この福知山線は尼崎が起点(尼崎港が本来の起点やったけども廃止された)で、伊丹・川西・宝塚と大阪近郊の都市部を通過するにも関わらず、陰陽連絡線としての機能以外はほぼ無視されとって、特急・急行以外は昼間は毎時1本から2本程度の客車列車か気動車列車が走る「大都市近郊ローカル線」やった。せやさかい、平成9(1997)年ぐらいまでは大阪近郊区間にすら入らんかって、おまけに冷房車もろくに走ってへんかったさかい、宝塚以北は阪急宝塚線からの乗り換え客が大半やったちゅう有様やってんな。国鉄がどんだけアホな経営さらしとったんかが分かるわい。

 宝塚電化されて電車が導入されてからも、宝塚以北直通列車は客車・気動車列車で運転されて、電車・気動車・客車の順番に宝塚までの所要時間が長なって行くダイヤやった。盛りスジするんも大変やったやろな。1986年に全線電化と新三田まで複線化されてやっとのこと阪急と渡り合える条件が整ったけども、車両面ではお古が中心の通勤型電車とセミクロスシート近郊型電車で、阪急に比べて見劣りしとった。

 1997年のJR東西線との直通運転開始により普通がステンレス207系に統一されて、大阪発の快速に221系オール転換クロス車が導入されて漸く車両面でも阪急に対抗でけるようなった。その後、昼間の快速は塚口折り返しの東西線快速を除いて転換クロス車に統一され、現在では阪急を脅かす存在にまでなった。それに、○神・淡路大震災で阪急伊丹駅が壊滅状態になって街外れの仮駅営業を強いられたこともあって、駅周辺が開発された伊丹駅の利用が増えたんも追い風になった。1998年に阪急伊丹が元の位置に復旧してからも、梅田直通運転があらへんことから阪急は振るわんようなった。

 ところがや、2005年にあの忌まわしい塚口―尼崎間脱線事故が起こって、福知山線どころかJR西日本全体のイメージが低下してしもた。事故を思い起こさんようにと通勤型電車の塗色変更と新型式321系導入を行い、事故の教訓から前頭部を強化した223系を入線さすなどして失地回復を図った。

 そんでも、なかなか利用客が思うように増えてくれんで、毎時4本ずつの快速はそこそこ乗ってはおるけども、同4本の普通は川西池田以南の区間では通勤時以外はガラ空きで、宝塚以北などは明らかに輸送力過多の状態や。中山寺附近のマンション建設ラッシュが一段落ついて、最後に残った北伊丹の乗客増も頭打ちの状態になりつつある。

 福知山線尼崎―篠山口間はアーバンネットワークの一角として「JR宝塚線」の呼称がある。せやけど、宝塚以北でまとまった利用があるんは生瀬・西宮名塩・三田・新三田・相野・篠山口ぐらいで、篠山口まで複線化された後でもそないに利用が伸びてへん。一部では過疎化した地域があるとは言え、大阪から1時間もかからんとこやのにこれは問題なしとはせえへん。次回は主にJR宝塚線区間の輸送改善を考えることにする。(つづく)

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