E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(2)

 わしも、「新しい歴史教科書をつくる会」の標榜する自虐史観からの脱却のスローガンを殊更否定するつもりは毛頭ない。何せ、昔の社会科の教科書は、日本国の粗探しに終始し、革命を起こす以外にこの国を正す方法はナイとでも言いたげな作りやったからな。わしゃ、社会主義共産主義は人間の本性に悖るとさえ思うさかいの。自由競争あっての進歩であることを、進歩的な思想の人には理解してもらいたい。




 せやけど、渡部昇一上智大名誉教授の説く「日本の歴史の美しい虹」の考え方には全く賛同でけん。渡部によれば、「国史」とは自分の国に誇りを持たせるためのものであり、つまりはその目的を達成するためには、自国の汚点には蓋をせよということだそうだ。




 冗談やあるかいこのドアホが。歴史は真実を学ぶためにあるに決まったあるやないかアホンダラアホ。歴史を学ぶ意義は、先人の成功と失敗を学ぶことにより、大には国家の経営、小には企業の経営に資することにあるんやないかアホ。日本の過去の失敗を糊塗したようなエエ加減な歴史なんか一顧だに価せんわい。まあ、文化勲章文化功労者の捷径は文化ボスの機嫌を損ねんことやそうやし、ロッキード裁判批判で立花のおばさんにボコボコにされた曲学阿世の徒らしい言ではある。




 それにやな、渡部みたいなことが罷り通ったら、「一億総保守主義」なってまうやろう。自国の美化とは即ち現在の体制の肯定につながるが、これは危険なこっちゃろう。わしは社会主義革命やなんてとんでもないこっちゃ思うけど、今の民主主義に満足しとる訳でもないわな。民主主義はまだまだ進化する余地があるやろ思うで。




 つまり「国史」とは過去の「遺物」と言うか「汚物」であり、益体のないモンであるということをわしらは認識すべきである。誰も現今の政権を素晴らしいやなんて思てへんし、我国の政治体制を国民の手によって世界に誇る制度に作り替えてこそ、日本国は世界に誇る歴史を刻むことがでけるのである。(つづく)