E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(1)

 わしは以前、 「や○きの委員会」に西尾幹二電通大名誉教授が出てきたときの彼の歴史学者にあるまじき発言(後に彼は独文学が専門と分かる。まあそれでもお粗末やが)を聞くにつけ、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書なんぞどうせ読むに値せん代物やと決めつけたが、現物に目ェ通さんと批判するんは義にも礼にも悖る行為であると反省して、「新しい日本の歴史」(育鵬社・本体1143円)を買うて目ェ通したが、やっぱしあかんかった。




 全体を通して言えることやが、叙述が荒っぽ過ぎるのである。大学院生や研究者対象の専門書やないんで微に入り細を穿つ必要はないにしても、中学生をナメた作りであることにガマンならんかった。こんな出来損ないの教科書に文化人と言われる連中が賛辞を送っとるんがコッケイである。こいつらはこの教科書にちゃんと目ェ通しとるんかいな。まあ、「テレビでもてはやされる大学教授の大半はニセモノである(百目鬼恭三郎)」から、今更取り立てて論う気ィも起こらん。どうせ、目ェ通したかておかしいとこ分からんぐらいノータリンなんが理由なんやから。




 まず最初に言うとかんとあかんことは、「歴史」の定義を中学生相手に示さんと歴史の勉強始めろやなんて乱暴な話があるか?折角「歴史コラム」のページん中で、歴史学の定義を説明すんのに都合のエエ考古学を採用してんのに、その冒頭で「文字の記録がない時代の歴史」やなんてトンチンカンな記述してどないすんねんドアホ。歴史ちゅうのんは文字(例外的に絵文字や絵画が含まれることもある)で記述されたモンに決まったあるやないかアホンダラボケカス。まあこれはこの教科書だけに限った問題ではないんやろうが、こんだけでも初学者用の歴史の教科書としては失格である。つまりは、我が国にはマトモな中学生用の歴史教科書はあらへんと断言できる。




 歴史の肝心要は近現代史にあるんで、原始時代のことについてあれこれ指摘するんはあんまし意味があらへんのやが、考古学の時代のことを断定的に記述することは危険やろう。わしらが小中学生の頃は、ネアンデルタール人旧人類と称してホモ・サピエンスとは違うと習たが、後の研究によると彼らも歴としたホモ・サピエンスであるとされてんねんがな。「先入の語を以て主と為すこと毋れ(王嘉)」である。




 まあ、お粗末な教科書はこれだけに留まるモンではあらへんことはわしも承知してはおるが、こんなデキの悪い教科書が世間で高評価を受けてることがどうしてもガマンでけんので、暫くはシリーズとしてこの歴史教科書をけなし続けることにする。(つづく)