E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

わしの鉄道事情大研究・三江線

わしが目ェ離しとるスキに三江線の来年度一杯での廃止が決まってしもたんは至極残念やけども、もっと残念なんは三江線それ自身にあった。
 
大正末年に三江北線の起工式が挙行されたことからも分かるけども、この路線の計画自体は古くからあった。せやけど戦争とかのゴタゴタがあって、全線開通は75年と遅かって、世の中はもうクルマの時代に突入しとった。しかもブサイクなことに、口羽駅構内でレールが繋がってへんかって、信号系統の工事が終わって直通運転でけるようなったんが78年やったさかいどもならん。なしてこないアホみたいなことなったんかは分からんが、75年いうたら丁度「スト権スト」が強行された年で、要するに国鉄の労使関係がグチャグチャなったあった時期と重なるねんな。
 
もっといかんかったんが、全体的な線形の悪さや。江の川にほぼ沿う恰好で敷設したんで大回りなってしもたんも、この路線を短命にしてまう原因やったな。これが邑南町経由の直線に近いルートやったら、福塩線と共に陰陽連絡線としての利用価値はそれなりにあったかもしれんが、その起点の福山が岡山・倉敷からそない離れてへんかったし、効果は限定的やろうなあ。おまけに泣きっ面に蜂のように災害で長期運休が続くようでは、匙を投げられて当然やな。いずれにしたかてこれでは広島市から山陰に向うルートに使える訳あれへんし、端から全通さすべきやなかったて言えるやろう。
 
社会実験で増発してみたかて利用者はそない増えんかった。つまり、沿線住民からも見放されてしもたあったちゅうことで、高校生はスクールバスで沿線の高校に通学してるちゅうがな。
 
そいでも、最後の一花咲かすためにも、土休日運転の臨時快速「江の川」を福山―浜田間に走らして、廃線の名残を惜しんでもらおうやないか。「江の川」は新大阪始発福山停車の「のぞみ」か「さくら」に接続して運転して、帰路は広浜高速線のバスに乗って帰って来るねん。こないしたら関西からでも日帰りで体験乗車でけるんやなかろうか。
 
地元からも見放されて廃線なったからには、もそっと便利なバス路線を通したなるな。福塩線の列車(でけたら快速)に接続する形で、三次から大田市までR375経由のバス走らすとかが考えれる。せやけども、沿線観光地は湯抱温泉ぐらいしかあれへんし、他にも松江・出雲方面への高速バスかてあるみたいやし、果たして利用客がつくんやろか?
 
それにしても、広島と山陰を結ぶ交通手段が浜田までの高速バスだけちゅうのは寂しい限りや。あんまし現実味はあれへんけども、「JR広浜線」を考えてみることにする。
 
この新線は、なるたけ既存の路線を活用して建設費を安うに抑える必要があるんで、あき亀山までの「復活開業」が決定したある可部線を利用することになるやろう。せやさかい詳細は次の可部線の項目に譲ることにする。