E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

原爆開発でも見られた国防力の分裂

 日本に原爆が投下されてから65年が経過した。広島・長崎への原爆投下は、その犠牲者の殆どが「銃後」の一般市民であったちゅうことだけでもめっちゃえげつない行為なんで、ナンボ米国がそれを正当化しようて試みようがそんなん正当化でけるこっちゃあらへんわいな。


 せやけどの、反核運動家やそれに賛同する人々は、日本にかて原爆開発計画あったんちゃんとしっとんのけて言いたいわい。歴史にタラレバはあかんちゅうけどの、日本もの、核でけとったらまず間違いなしに核使用しとったてわしゃ思うで。少なくとも、わしが陸海軍のいずれかの帷幄上奏権を握る立場におって、理研か京大のどっちかから「新型爆弾開発ニ成功セリ」の報に接したら、「該新型爆弾ノ開発ヲ促進セヨ。ソシテ速ヤカナルソノ使用ヲ希望ス」て打電するで。ほんで、中国大陸の主要都市の爆撃やら敵艦船攻撃につこて、トルーマン同様、その余りの残虐性に驚嘆して、「直ちに核戦争のこれ以上の拡大をやめるべきや」とか発言して、連合国に対して和平工作に乗り出しとったやろうのう。まず、ポツダム宣言なんかされへんかったやろう。


 上に書いた通り、日本では、理化学研究所・東京・東北・大阪三帝大と陸軍、京都帝大と海軍がそれぞれ独自に原爆の開発をやっとってんやんけ。陸軍側の仁科義雄は「理論の仁科」、海軍側の荒勝文策は「実験の荒勝」と呼ばれ、もしかこの二人がタッグ組んだら世界最強の核兵器開発プロジェクトなったかもわからんねんやんけ。


 仁科は核物理学専攻ではあったが東大電気出身やったんで物理学研究の主流にはなれず、大河内孝敏に拾われた恰好で理研に入った。ほんで、荒勝は京大物理出身で東大の仁科と一緒にやれる状況にはなかったて思われる。陸海軍対立に東京・京都両帝大の対立もあってか、結局日本の原爆開発は間に合わず、1945年8月6日にその敗北は決定した。理研は「我々でさえも一発も作れんかった原爆を、二発も作れるワケあるか」などと強弁しとったが、9日にはそれも打ち砕かれた。日本はこないして「物理学の戦争」て言われた太平洋戦争に負けたんである。


 「陸軍のアホどもと一緒に戦争なんかでけるかアホ」「海軍は海軍あるを知って国家あるを知らず」「あの男は東大出身の物理屋」「あいつは京大の電気屋」やなんてしょうもないことにこだわっとると、次の戦争にかて必ず負けてまうで。そんなんはせいぜいクイズ番組ででもしこしこやっとれ。