E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(101)



桑原隲蔵先生の中国での評判が最悪な理由は、遠慮会釈なしに中国人の図星を指し、しかもこれでもかこれでもかっちゅうぐらい次々と学殖に裏打ちされた例証を挙げ、完膚なきまでに彼らをしばき倒すからやろう。それだけに読後感は痛快無比で、玉石混淆のネット上の文章などに比べては失礼に当たるやろう。

今回も前回の続きで、「支那人の文弱と保守」からや。

ただ、桑原先生の文章にかてツッコミ所があらへん訳やナイ。

「兵役を苦にし、戦争を厭う支那人は、概して外国に対して侵略を行はぬ。」

もしか中国が一切侵略をせえへんかったとしたら、中国の版図は河南省の半分もあれへん広さになってまうし、チベット東トルキスタンを併呑しとる事実からしても、「概して侵略を行はぬ」とは言えんやろう。

支那人は古代から華夏と誇称して、四囲の異族を東夷・西戎・南蛮・北狄などと排斥して居るけれど、特別の場合の外は、決して之に兵力を加へぬ。輝徳不観兵とか、遠人不服則修文徳以来之とかいふのが、支那人の蛮夷に対する大方針である。勿論この方針は理想で、実際に施しての効果は頗る疑はしい。」

その「特別の場合」が一体どんだけあったんかいよ?唐の最大版図は現今の中国よりもさらに広大で、ウズベクやアフガンを手中に収めるだけでは飽き足らんで、アッバース朝カリフ国とタラス川畔で一戦交えるぐらい好戦的やったんやがな。近世でも明朝は蒙古勢力を中国から駆逐してからもベトナム北部や沿海州樺太侵奪しとるし、侵略の歴史の長さたるや日本なんかと比較にならんぐらいやがな。

支那の北辺に居る塞外種族は、殺戮を以て耕作となし、掠奪を以て本業とする蛮民である。如何に支那人が平和に眷恋しても彼等は容赦なく侵略を加へる。(中略)併し支那人は決して此等の北狄に対して、兵力を以て対抗せぬ。時には以夷制夷の策を採ることもあるが、多くの場合、金帛を贈ってその歓心を買ひ、彼等の侵入劫掠を緩和するのが、歴代慣行の政策であった。明治四十四年の秋、支那人漢人)が革命を起して、満人(清朝)より独立した時の檄文に、

漢人実耕。満奴食之。漢人実織。満奴衣之。

と憤慨の辞を連ねてあるが、この事実は決して清朝時代に限った訳でない。支那は往古から、北狄の宝蔵金庫たるべき運命をもつて居る。(中略)」

ただ、北狄の住まう地は気候が苛烈で耕作に向かず、農耕民族の漢人がそこを武力で以って侵略したかて得られるものはあんましあらへんさかい、消極策に出たちゅうことは理解でけるわな。

支那にも稀には秦の始皇帝や、漢の孝武帝の如き、豪傑の君主が出て、北狄征伐をやつたこともあるが、兵を窮め、武を瀆す者として、支那国民間の評判は決して宜しくない。功を異域に建てた軍人なども、余り国内では歓迎されぬ。(中略)

支那人が文弱で怯懦であることは、古き時代から諸外国人の間に知れ渡つて居る。元時代に支那に十数年間滞在したイタリーのマルコ・ポーロは、

蛮子(南支那人)が若し侵略的種族であつたら、彼等は優に全世界を制服し得るほどの多人数である。されど読者は杞憂することを要せぬ。此等の蛮子は何れも欠点なき商人、又は怜悧なる職工たるに適するのみで、兵士たるべき資格は全然具備して居らぬ。と申して(中略)居る。」

つまり、王朝時代の中国は、その卓越した国力と世界有数の人口を背景にして版図をひらげたが、勇猛さに欠けたために世界帝国を構築でけんかったちゅうことか。

「この点から考へると、日清戦役前後から始まり出し、日露戦役によって一層流行し、今日猶ほ世界の一大問題となつて居る所謂黄禍論は可なり複雑であるが、若し黄禍論を戦争の方面のみに限り、また黄禍の主人公を支那人のみに限つて考へるならば、確に荒誕不稽の論と断言し得るのである。(中略)

[近く百年間の歴史を見渡すと、支那は随分諸外国相手に交戦して居る。若し義和団の乱に関する北清事変を加へると、殆ど世界の列強のすべてと交戦して居る。されど此等の交戦は、多くの場合、支那にとって不本意の交戦であつた。支那人の立場から観ると、これらの戦争は諸外国から押売されたものである。去る明治四十年にオランダで開かれた第二回万国平和会議で、戦争開始の時期が問題となり、或は通告を要するといひ、或は通告を要せずといひ、彼此議論を闘わした時、列席の支那委員は、戦闘開始に先だつて通告するのはよいが、相手がその通告に応ぜざる場合は如何にすべきか。我が支那の如きは、何等戦闘の意思なきに、屡ゝ諸外国から戦闘を押売された。今後も他国から戦闘開始の通告を受けても、我が国では容易に之に応ぜぬ積りであるから、この場合の規程が必要であると申出たが、満場から笑殺されて仕舞ったといふ。笑殺されても、支那委員の言ふ所は先づ事実である。沢山な戦争をしても、支那人は決して好戦でなく、又文弱でないともいへぬ。(以下省略)」

民国が大陸におった頃は確かに中国は戦争を仕掛けられた方やったが、中共になってからはどうか。ソ連との国境紛争は毛沢東珍宝島を諦め切れんかったから起こったことやし、中越戦争ベトナム軍侵攻によるカンボジアポル・ポト政権打倒に鄧小平が腹を立てて攻め入ったんやったな。その他にも中越間では国境を巡る軍事衝突があるし、果たして中国人の文弱は現代においても適用でけるかどうかには疑問が全くないではない。

せやけど、ここ数年間の中国の政府要人の一連の発言を聞くにつけ、こいつらは「言うだけ番長」やなと思える。ただ、それは日本やフィリピンに攻め入れんのは米軍がバックにおるからで、そうでなかったらとうの昔に攻め入ってるとの話にもそれなりに説得力はある。

その一方で、人民解放軍のメンバーはそのほとんどが生まれた時から両親や祖父母に甘やかされてスポイルされた小皇帝で、いかにも精神的に懦弱であるとの印象を受ける。敵に遭遇すれば退却し、上官に銃剣で脅されてコワゴワ前線に出るんやないかて思われる。

むしろ気になるんが内戦の勃発の方で、チベットや新疆の叛乱がその火ィに油を注ぐことになるやろう。中国の歴史は内乱の歴史でもあんねんからなあ。

次回からは、「支那人の保守」についてや。(つづく)