E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(110)

「世界の動きを知るためには本など読んではダメだ」は一面の真理かもしれんが、「世界の動きを精確に理解するためには本を読まなあかん」て思う。特に歴史関連の文書をな。

ただ何分にも桑原先生の論文は1世紀前後前に書かれたものなんで、一部では現代に通用せん考え方もあるやろうけど、それを差し引いたかて現代日本人に読む価値がナイなんてことはナイ。今回も「支那の革命」の続きや。

辛亥革命のスローガンが「滅満興漢」やとしたら、次の中国革命のスローガンはどないなるやろか?1949年の中共建国後、世界の流れである民族自決に背を向けてチベットや新疆などの独立を阻み、時代遅れの対外拡張政策を続ける中国に鉄槌を下さんとすんのやから、わかりやすくかつ激烈なスローガンでなかったら受け入れられへんわな。漢民族支配からの脱却は無論のこと、民族の目覚めや自決権を高らかに唱えるモンも必要やで。もしか、満州民族が独立したいんやったら、「滅漢興満」でもエエかもしれんが。

そうや、現在の中国は言うたら漢民族によって不当に支配されてる征服王朝とも言える。本来の征服王朝の意味に該当するんは遼・金・元・清の4王朝や。これらは異民族が本来漢民族が支配しとった地域を侵略して建てた王朝やけども、逆に申さば、昔の吐蕃王朝の領域やったチベット自治区内蒙古・四川・雲南・青海・新疆なんかは、チベット人から見たら漢民族に支配された征服王朝て言えんこともあらへんやろう。チベットのスローガンは「滅漢興蔵」やな。吐蕃はソンツェンガンポ王の治世において、上記のように広大な版図を持ちつつ唐と対等に渡り合うた強大な王国やった。どうして中共は「西藏独立など不可」などと言えようぞ。

もしか、桑原先生の主張せらるる中国人の「文弱性と妥協性」が現在にも息づいているんやったら、それをうまいこと独立に利用してかかるんが上策かもしれんが、近年の中国人は国境意識が高なったんか、武装警察を送り込んで反体制運動を強引に鎮圧する姿勢を貫いてる。チベットなどに対して妥協するとは到底思えんし、それは東海・南海での強硬姿勢からも見て取れる。妥協をすんのは、旧ソ連などのように一度も「中華」に降ったことのあれへん国との間だけで、珍宝島事件後の経緯がそれを示してる。せやけど、西藏や新疆など一度「中華」に併呑された地域はやはり「中華」の一角と看做し、独立運動など叩き潰す。

ただ、こないした旧来の姿勢と異なるようになったんは、中国共産党トップダウン型支配による所が大きい思う。共産党ちゅう所はボトムアップを否定し、党中央に逆らう者は何のためらいなしに処刑する。さなぎだに、元々が人民を民草と軽視して人権意識の低い中国のこっちゃから、党のお偉いさんのすることはどないしたかて残虐性を帯びるようになる。かかる恐怖支配を布いとるさかい下民は上のエエように扱われ、それが現代中国の冒険主義を支えてるように見える。中国人が旧来の文弱性や妥協性を再度帯びるようになるんは、共産党支配の軛を脱したときやろう。それまでは対外強硬路線を突き進むことになろう。

その一方で、桑原先生は日本人と中国人の国家帰属意識の違いについて言及されている。

「勿論支那でも忠義の士に乏しくないが、その忠義の士とても、多くは食西山之薇(南宋の謝枋得)とか、赴東海而死(南宋の胡詮)とか、唯一身を潔くする消極的方法を採るに過ぎぬ。(中略)日本人の如く七生人間滅国賊とか、七生報国とかいふ、積極的意気込を欠き、甚だ飽足らぬ心地がする(以下省略)」

戦時など非常時においては、こないした旧来の文弱性と妥協性が発露されることが予想される。日中戦争における国民党軍の退嬰的な戦い方にその一端を見ることがでけるやろう。そんでのうても、中国人は中国から逃げ出しとうてしゃあないねんから、その大半は中共なんぞに忠義立てなんかするとは到底思えん。昨今の「漢人の(対日)敵愾心」なるものは江沢民らによって捏造された代物で、中共が滅すると同時に脆くも瓦解するしかあれへん。それは、戦後何十年にも亘って続いた日本の対日支援の事実にフタをすることなどによって成り立っておるんで、その真実をしったら途端に醒めてまうからや。

ナチスドイツやソ連邦など巨悪が必ず亡びることは、歴史が示しとる通りや。そこへ持ってきて、中国人には国を守る意識が乏しいさかい、中共は一つのタガが外れることによって一気に崩壊する。彼らはネットなどでは愛国を声高に主張しとるが、ケンタの前で日米韓比ボイコットを叫ぶなど、その愛国の発露の仕方が空疎極まりない。所詮中国人は、国家存亡の秋には団結心など発揮できずにバラけてまう砂粒のような存在でしかあれへんのや。

支那の革命」はこんでしまいや。次は「支那の国教問題」の予定や。(つづく)