E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(100)



今回も前回に引き続いて、中国史研究家の桑原隲蔵先生の論文の紹介を行うことにする。桑原先生の論文の有難いとこは、中国問題を処理するに当たる今の日本人にとっても参考になることを書いておられることや。前回同様、出典は「桑原隲蔵全集 第1巻」(ISBN4-00-091331-X C0322)や。

中国人の気質についての所感を述べた「支那人の文弱と保守」を読んだら、東海や南海における中共の蛮行に怯える日本人や東南アジア諸国の人々も少しは気楽になるんやないかて思う。但し、中国人は打算的であるだけに損する戦争はせえへんが、隙を見したら領土を掠め取りよるんでそれだけは注意した方がエエやろう。まずはここにこの論文の一部を掲載する。

「(前略)(三)先天的に利害打算の念慮の発達した支那人は、小にしては争闘、大にしては戦争、何れも危険の割合に、利益が伴わぬことを夙に承知して、成るべく戦争や闘争をせぬ慣習を養成した。実際支那の塞外の北狄などは、たとひ之を撃破した所が、得る所失ふ所に及ばず、功は労を償はぬ憾がある。多少の歳帑を贈って、始めから彼等と戦争せぬが利益である。支那歴代の政策は、利禄を以て北狄を懐柔して、北辺を侵擾せしめぬ様に力めて居る。(中略)

支那人が文弱である原因は兎に角、支那人は個人としても腕力沙汰は甚だ稀で、団体としても戦争は好まぬ。支那人の所謂喧嘩は喧嘩口論である。この意味での喧嘩ならば、支那人は世界有数の喧嘩好きかも知れぬ。支那の学堂や官衙など、人の群集する場所には、必ず禁止喧嘩と掲示してある。実際支那人は口喧しいが、決して手出しはせぬ。吾が輩の支那留学中、殊に北支那留学中には、殆ど支那人の掴み合いを見たことがない。(中略)

掴み合いすらせぬ支那人が、戦争で血を流すことを好まぬのは当然である。支那の武といふ字は、止戈の二字から成立した会意文字である。故に武とは武器(戈)を用ふるのではなく、武器を用ゐぬことである。乱暴者が凶器を振り舞はすのを差抑へるのが、武の本意である。(中略)武の神髄は不殺に在る。みだりに人を殺害する者は武とはいへぬ。(中略)

支那の文学を見渡しても、尚武的なものは甚だ稀で、その反対に兵役の厭ふべきこと、征戦の苦しきことを詠じたものが頗る多い。既に『詩経』を見てもこの憾はあるが、後世の詩文となると、一層この傾向が目に附く。(中略)

かかる国柄であるから、支那では古から軍人となることを不面目として、兵役に就くのを非常に嫌忌する。一例を示すと、唐時代には、文官の方の進士の科には志望者が多いが、軍人の方の武挙には殆ど志望者がない。当時軍人の位置は極めて低い。一家の中で軍人となる者があると、その父兄らは之を非人扱にした。(中略)軍人の位置の低いこと、殆ど想像以上といはねばならぬ。(中略)

責任の自覚、自覚に対する決心、之が我が武士道の神髄である。支那の軍人はここに欠陥がある。支那梁啓超は曽てその『飲氷室文集』の中に、日本人には日本魂がある。即ち武士道である。然るに支那人には中国魂が見当たらぬ。日本と支那との強弱の岐るる原因はここに在る。故に支那今日の最大急務は、日本人の日本魂に劣らぬ中国魂を製造するに在りと主張したことがある。中国魂はしかく容易に製造し得るであらうか。西洋人の中には、支那にも日本に於けるメッケル、トルコに於けるゴルツの如きものあらば、有力な軍隊が組織されると信じて居る者が多い。メッケルやゴルツでも、支那人に中国魂を与えることは容易ではあるまい。梁啓超の所謂中国魂の成否が、支那の今後の運命の岐かるる所であらう。(以下省略)」

因みに、メッケルは明治日本がドイツから招聘した陸軍大学校教官で、司馬遼の「坂の上の雲」での秋山好古とのやり取りを読んで覚えてる向きも多かろう。もし横浜でモーゼルワインが手に入らんかったらメッケルは来日せえへんかったかもしれんで、日清・日露戦争はどないなっとったか分からん。

著作権切れをエエことに長々と引用してしもたが、これを読んだら日本人もフィリピン人も今までより少しは枕を高うして寝れるやろうよ。むしろ逆に、これを日本人が中国人よりも好戦的であることの一つの例証としてプロパガンダに利用されるかもしれんがの。

中国人がいかに文事にかまけて軍事をおろそかする気質に満ち溢れたあるかについての論考にはさらに続きがあるが、それを次回に書くことにする。(つづく)