E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道 (165)

今や産経新聞の「顔」である加藤達也・社会部編集委員(元ソウル支局長)のコラム「加藤達也の虎穴にいらずんば」(5日付)を読んで大笑いした。同コラムによれば、中国紙「中国国防報」の韓国報道からの引用記事で、朴槿恵・韓国大統領を傀儡人形にしとったとされる崔順実被告の元夫のチョン・ユンフェ氏の顔写真を、あろうことか加藤元支局長の顔ととっ違えてしもたそうや。朴政権のコントローラを、朝鮮日報記事「朴氏の空白の7時間」の引用記事書いて名誉毀損で訴えられた加藤氏と間違うとは、そのぶっ飛んだ誤報のレベルに恐れ入る。
 
 
でもまあ、落ち着いて考えたら、アノ国に「マスメディア」て言えるモンは一個もあらへんのやさかい、これぐらいのことは平常運転の範囲内て言えるやろう。そんでのうても、中国人民は自由主義から程遠い中古人類やねんさかいしゃあないねんやんけ。さらに同コラムによると、22年にも新華社系の「国際先駆導報」紙が、日本白×協会 (NHK) 解説委員の死去を伝える記事で、間違うて池上彰の顔写真を載したちゅうねんさかい、これら愉快な記者を含めて報道の自由を享受でけん人民たちを哀れに思わずにおれん。
 
「然るに今より約千六百年前、西暦四世紀の初となると、匈奴、羯、鮮卑、氐、羌等の、所謂五胡と称せらるる塞外種族が、北支那を占領して、漢族の建てた晋室は、彼等の為に、洛陽(河南省長安陝西省)の旧都を逐はれ、揚子江の南岸の建康(江蘇省)に都を移して、東南半壁の天地に、東晋を建設することとなつた。
 
この一大事変、歴史上或は永嘉の乱といひ、或は晋の南渡といふこの大事変は、支那の世相の一大回転で、種々の方面に重大なる影響を及ぼして居る。就中この事変が、南北支那の文野の区画に、一大変動を生ぜしむる一大原因となつた。永嘉の乱後三百年に亘つて、殺伐野蛮な塞外種族が、古来漢族の根拠地で、同時に文化の中枢であつた、北支那を占領もし、又支配もした。当時北支那に入り込んだ塞外種族は、殆ど居民の半に近い。彼等の支配の下に、漢族は多大の侮辱と虐待とを受けたこと申す迄もない。晋室南渡の後も、漢族の多数は、依然北支那に住んで居る。此等漢族中の人材は、何れの塞外種族の支配の下にも、相当登庸された。併し要するに北支那在住の漢族は、劣敗者で無勢力である。彼等塞外種族は、漢族を擯斥して漢狗(『資治通鑑』陳紀五)といひ、又一銭漢(『資治通鑑』梁紀十三)ともいふ。漢とは漢人のことで、漢狗とは狗同様の漢人といふ意味で、一銭漢とは一文奴の漢人といふ意味である。痴漢とか悪漢とか、卑劣漢とか無頼漢とか、乃至破廉恥漢とか没分暁漢とか、すべて人を痛罵する時に、漢の字を使用することは、五胡時代以来の慣習に外ならぬ。かくて北支那では、塞外種族の支配の下に、日一日と朔北の蛮風が瀰漫して、中国の光華が凋落して往いた」
 
西晋武帝炎が三国統一の大業達成の後、女に溺れて政治に倦み、後継者に若い惰弱な天子しかおらず、しかも八王の乱の際に諸王が五胡を傭兵に利用しようとして却って五胡に利用せられて亡び、中原は胡族の天下になりよった。中国歴代の王朝はこれまで紹介した桑原先生の論文にもあるように、周縁部の胡族と妥協を図ることでお茶を濁して来た経緯がある。せやから、今の中共が日本をナメとるように彼らも中国をナメとって、機会あらば乗っ取ったれちゅうことで見事に乗っ取りに成功したちゅう訳やな。
 
それにしても、痴漢・悪漢の罵詈雑言の類が五胡の時代の産物とはしらんかった。ほいでもってその調子で言うたら、中国人記者のレベルの低さを見るにつけても、現今の中共体制は正しく
 
「痴漢の、痴漢による、痴漢のための政府」
 
やな。(つづく)