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速報・中共崩壊への道(102)

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桑原隲蔵先生の「支那人は文弱である」が果たして現代にも適用でけるかどうかは議論の余地なしとせえへんが、「支那人は保守的である」はでやろか?前回に引き続き「支那人の文弱と保守」を引用しもって考えてみる。

支那人は文弱的であると同時に、保守的である。支那人がしかく保守的であるのは、種々の原因があることと思ふ。

(一)支那人の先天的性質が保守的である。
(二)上古から支那人の文明が、その四隣の異族の間に卓越して居った。故に支那人は古から自国の文明を自負し、之を唯一絶対のものの如く妄信して、その維持保存に力を用ゐた。この慣習が第二の天性となつたのである。
(三)支那人の間に久しく偉大なる勢力を有して居つた儒教そのものが、保守尚古的である。孔子も述而不作、信而好古というて居る。彼は要するに先王の祖述者で、古代の謳歌者である。(中略)但しその末学になると、多く保守思想に囚はれて居ることは、争われぬ事実である。(中略)『孟子』七篇の中には、保守尚古の気分が充満して居る。」

もしか、中国の学者とかが「文明の発祥の地はその全てが途上国である。我々中国人は『中華』の名を捨て去り、謙虚さをもって先進国に学ぼうではないか」、なーんて言うてみィ、早速共産党の回し者がしばきに来るぞ。せやから、桑原先生の言に耳傾ける奴なんかそないおらんし、おったとしたかて周囲からしばき上げられて潰されるんがオチやで。

ただ、共産党は宗教や宗教的なもの全てを阿片と看做すんで、儒教的な事物は文革時に仏教的なものとともに悉く破却されてしもて、破壊された後にも残ったあるんは神仙崇拝などを含む道教の方やないかて思われる。

儒教のみでなく、支那に起つた諸学説は、概して保守主義に傾いて居る。荘子が当時の学者を評して、尊古而卑今、学者之流也と申して居る位であるから、儒者のみが保守的と非難する訳ではないが、儒教が尤も勢力を有しただけ、殊に漢以後は儒教が国教ともいふべき位置に立つただけ、支那人の間に及ぼした感化影響の大なることは否定出来ぬ。(中略)

西漢の孝武帝の時代に、匈奴征伐に苦心したことがあるが、その時斉人の延年といふ者が上奏して、黄河の流を北に移し、匈奴と中国との国境を経て、東海に注がしめたならば、一は以て中国の水災を避くべく、一は以て水軍に不得手な匈奴の侵入を防止し得べく、誠に一挙両得の良策であると申出でたが、豪傑でも孝武帝は矢張り支那人である。(中略)即ち聖人の禹が定めた黄河の水道を移し改めることは、吾々にて出来る筈がないとて、遂に採用を見合わせた。採用せなかったことの可否は別として、採用せぬ理由が可笑しいではないか。(中略)」

中国人は天子のみならず庶民に至るまで古人の言動や行動を引き合いに出したがる傾向が強そうや。「三国志演義」や「水滸伝」などを読んだかて、その登場人物の「漢の高祖が云々」やことの「関公様がどうのこうの」やことのセリフがどんだけ出て来よることか。それにや、やたら大禹などの過去の名君とされた人物らを聖人と持ち上げて、それに対する批判が許されんような雰囲気がある。我が国の「弘法も木から落ちる」「サルも筆の誤り」とはえらい違いや。

旧日本軍は「太平洋戦争を日露戦争で戦って敗れた」て批判されるが、人民解放軍にも先例主義がありやなきや?ともかくも、この盲目的な保守主義・先例主義が戦闘にも表れる可能性がある思うんで、自衛隊はそれを頭の隅に置いとくことをおすすめしたい。

「一体支那人は師古(引用者註「古を師とす」)と称して、古代の聖賢の行ふたことでなけねば信用せぬ。聖賢の行はぬ新事業をやり出すと、不師古底非行(引用者註「古を師とせぬところの非行」)として排斥する。秦の始皇帝や、宋の王安石らの改革が、不評判であるのは、他にも原因があるが、主としてこの支那人の保守思想に適せぬからである。」

これを読むと、日米欧の先進国とかで何か新発明がなされたり新商品が開発されたりすると、中国人の反応によう「コピーしてしまえ」ちゅう書き込みが出て来る原因がこれやないかと理解でける。つまり、彼らの保守主義・先例主義は海外製品にまでも徹底されてまうねんな。アホか。

「[隋の煬帝高句麗征伐をやつたことがある。その時百万の大軍を、左右の二軍各十二隊、併せて二十四隊に分つた。所が統監部から此等諸隊の向ふべき目的地を指示する場合に、六七百年も以前の漢時代の地名を使用して居る。(中略)此等の地名の的確なる位置は、隋時代に多く不明であつた筈と思ふ。尠くとも隋の統監部では確知せなかつた筈と思ふ。(中略)かかる指令を平気で発する統監部も、かかる指令を呑気に受ける部隊も、共に呆れ果てたものでないか。抑ゝ不明な地方や、存在せぬ土地へ、発向すべき命令を受けた当時の各部隊は、如何なる行動を取つたであらうか。世間では支那人を実際的といふ。それも半面の真理であるが、同時に他の半面では、彼等は存外非実際的なところもある。戦争の如き生死存亡に関する大事件にも、彼等は呑気に古代の地名を使用する。不確でも不明でも、古代のものがよいといふ。支那人気質の一端であらう。]」

何かもうここまで来ると、むしろいじらしさを感じてまうわい。さすがに現今の人民解放軍魏志倭人伝とかが出典の日本の地名をつこたりせんとは思うが、もしかするとこれに類するエラーが軍内部で頻発しとる可能性がある。ここから人民解放軍の思わぬ弱点を発見でける可能性があるかもしれんので、日本としてもよくよく研究しとく必要を感じる。果たして中国人は近代化された軍隊を運用する能力あんのけ?

「古人や先例を引き出せば、支那人は得心もし信用もするから、自然支那には古人の名に託した偽書が多い。(中略)古人の名を負ふた偽書は、一々列挙するに堪えぬ程である。世界の中で支那ほど偽書の多い国はなからうと思ふ。支那の大学者で、偽作家の嫌疑を受けて居る人が尠くない。(中略)古書を偽作する動機は種々あるが、所詮は支那人が古書を尊信するといふことと、離るべからざる関係が存するものと思ふ。」

日中関係を損なう歴史認識問題を複雑にする原因がここにある。日本にも札付きの劣等資料があらへんことはないが、中国のそのレベルはケタ違いみたいやな。こんな国と歴史認識が一致することなんか未来永劫あらへんと諦めた方が間違いは少ない。

三国志」の「蜀志諸葛亮伝」によると、蜀漢諸葛孔明が「木牛流馬」なる糧食運搬のためのカラクリを作ったそうやが、「演義」には孔明はこれをわざと魏に鹵獲さしてそのコピーを作らした。原物はネジ回すと動かんようにしてたことを利用して魏軍を破ったなんてこと書いたあったな。これもコピー好きな中国人に対して有効な作戦に利用でけると見た。

中国対策のヒントは、存外こうした昔の論文にも転がってそうや。首相官邸統合幕僚監部・陸海空幕僚監部においても、こないした文献研究をやってもエエのやないかて思うねんけど、どないやろうか?

次回も「支那人の保守」の続きや。(つづく)

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