E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(109)

1949年の中華人民共和国成立は革命の成功でも何でもナイ。あんなんは、日本軍の矢面に立って戦い疲弊した国民党軍が、戦時中にこそこそ隠れて消耗を免れた紅軍に漁父の利を攫われたに過ぎんのや。しかもあれは「プロレタリア市民革命」なんかやなしに、エエとこ特権意識旺盛な共匪幹部による国家の乗っ取りで、中国も旧ソ連同様、プロレタリア独裁政治なんか1日たりとも行われてはおらん。

かような中共が未来永劫存続するなど上天が許さん思うさかい、いずれ市民の手によって北京政府は引き倒されてまうことやろう。中国の歴史上そのシミュレーションに最も相応しいんは何ちゅうても辛亥革命やで。今回も桑原先生の「支那の革命」を読みもって、来るべき中国市民革命への備えを万端にしやう。

「(前略)革命軍の『黎(引用者註:黎元洪・湖北新軍混成旅団長。後中華民国大総統)都督師詞』には、我祖黄帝建邦于中土といひ、『討満洲檄』には昔我皇祖黄帝肇造中夏とある。また黄帝之子孫とか、黄帝之苗裔などいふ文字は、毎文牘に畳見して居る。(中略)勿論今日謂ふ所の漢族の多数は、決して純粋なる種族でなく、大抵は混血雑種である。(中略)

秦漢以後塞外との交渉頻繁となるに従ひ、漢族と異族との雑婚も亦日に多きを加へたこと申す迄もない。所が此等塞外の異族も、多く黄帝の子孫として伝へられて居る。(中略)されば黄帝の子孫といふ名目の下に、支那全土の種族の大同団結を図るは、尤も適切な方法である。(中略)」

まずこないして、漢民族全員を黄帝の子孫と看做すやり方は、真偽の程はともかく、非満州族の全てを糾合するには有効な手段ではある。一方で、新疆のウイグル族西蔵チベット族なども、それぞれ回紇や吐蕃の末裔たるべきことを喧伝すればよろし。少なくとも「中国人皆が黄帝の末裔」よりかは説得力があろうし、独立の旗印にするには最適や思う。

それにしても、「黄帝を以て漢族の祖先となすは、わが日本の歴史家の創設で、支那人はこれを襲踏したものだ。支那には古来かかる伝説なし」やなんて、当時の日本人にも出来の悪い韓国人みたいに日本起源説を振り翳すアホがおってんな。いずれにせえ、史書を見たらすぐにボロが出るようなことを主張せん方がエエよ。歴史を自国民族美化の手段としか見てへん連中に言うても詮無いこっちゃけどな。

「革命軍の文牘には、多く黄帝紀元四千六百有九年、又は黄帝紀元四千六百零九年と署してある。上に已に述べたる如く、黄帝の子孫といふ名目の下に、大同団結を行つた以上、黄帝紀元を採用すべきは自然の順序であるが、ただその四千六百零九年といふ年数に就いては、可なり疑惑がないでもない。

元来支那上古の年代の正確に知り得るは、西周の協和庚申之蔵(西暦前841)以後のことである。(中略)故に西暦前841年以後の年数は、頗る信用するに足るが、その以前となると、書物によつて非常に相違して居る。(中略)」

まんず、白髪三千丈で南京大虐殺30万人の中国やし、何言うてもあかんやろう。でもまあ、これは中国国内の問題やさかい、放置主義で行くしかあんめえ。

「革命軍が満洲政府に不快を懐き、遂に今回挙兵の已を得ざるに至つた主意は、「檄天下文」「革命軍政府佈告全国文」「卾軍都督黎〔元洪〕致満政府書」其他の文牘に備はつて居る。彼等の主張を要約すると、大要左の五項に区別することが出来る。

(一)江南●定の際に於ける漢人の虐殺(●は甚+戈)。
(ニ)乾隆年間の書厄、及び康熙・雍正・乾隆年間の字獄。
(三)辮髪胡服の強制。
(四)満漢待遇の厚薄
(五)日清戦役後に於ける外交内政の失敗。(中略)」

桑原先生は、(一)に対して満洲政府は「周武王すら牧野に惨劇を演じ、北宋に対する女真人、南宋に対する蒙古人の先例あるに満人のみが特に虐殺の非難を受ける道理はない」と弁解するかもしれないが、「是は他を引いて己を恕するといふもので、到底漢人の憤懣を緩和するに足らぬことと思ふ」とバッサリ斬って捨てておられる。いずれにしてもデキの悪い中朝韓の連中が言いそうな弁解やなこれは。わしら日本人は歴史を科学と看做す姿勢を貫き、史実に対して真正面から向き合う。従軍慰安婦問題に向き合わんのはそれは史実ではないからや。

(二)についても「支那の歴史を見渡すと、秦の始皇帝以来、書厄字獄は必ずしも稀有の事件ではない」と。まあそらそうやわな。歴代中国の天子いうたら、民を雑草の類と同等とし(民草)、それを安んずることなどほとんどあらへんかってんからの。たまたま清朝の「文字の獄」が他の王朝よりも苛烈やったに過ぎん。まあそんでも漢人がこの言論統制に目ェ剝くんは当然やろうけどの。

(三)先生は、辮髪胡服の強制も清朝に始まったことやないとしている。女真北宋を倒しその地を占領の後、「領内の漢人の漢服蓄髪を禁じ、皆胡服辮髪せしめ、違ふ者は死罪に処すといふ令を下して居る」他にも強制された可能性がある。でも、わしかて三つ編みにして髪剃り上げろ言われたら困るで。髪あらへんねんからの。それは冗談として、やっぱし風習を強制することはあかんかったの。さなぎだに中華を自負する漢人のプライドをズタズタに斬り苛んでんから、ほらあ恨まれてもしゃあないて。

(四)先生は、清朝漢人を冷遇したんは間違いあれへんけども、元朝みたいに色目人よりも下にみたいな露骨なことなんてないし、まだ微温的な差別やったとしておられる。それどころか、漢人の知識は満人のそれを遥かに凌駕しとったから、重用せずにはおれんかったともしておられる。その一方で、摂政醇親王が側近高官のみを重用し、漢人を起用せえへんかったりしては、それは漢人の怨みを買うのも当然ともしておられる。結局、政治腐敗も手伝って満清は倒されたちゅうことやろな。

(五)については改めて言うまでもなしに、清末の外交は外交の態をなしておらぬ、とこれまたバッサリや。

ちょう待てよ、この(一)から(五)て、ほぼそっくりそのまま今の中共に当てはまらんけ?

(一)大躍進・文化大革命六四天安門事件の際に於ける人民の虐殺。
(二)建国以来の書厄、及び字獄。
(三)人民服の強制(今はそんなことナイけどな)。
(四)漢族とそれ以外の少数民族との待遇の厚薄。
(五)尖閣衝突事故後に於ける外交内政の失敗。

ちゅう具合や。(四)については、新疆におけるウイグル族への武装警察による弾圧、西蔵におけるチベット族浄化のための非人道的な行為のことやんけ。わしもこれらについては声を大にして北京政府を糾弾する。まあどうせ、中共も不日清朝と同じ運命を辿ることになろうけどの。

次回も「支那の革命」の続きや。(つづく)