E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(32)

 習近平政権は、江沢民政権当時国務院総理(首相)であった朱鎔基の号令によって始まった「けざわひがし(真央ツートン)」の主張に基づく「南水北調」事業を完成させようとしている。これは、中国では南方の水資源が豊富な割に北方はそうでないことから、ぞれなら水を南から北に引けば良いではないかという、地理を習い始めた中学生的な発想による事業である。大躍進政策の大失敗をしらん訳でもあるまいに、毛沢東なんぞの策に乗るとは何を血迷うたか。朱鎔基はアホである。

 この規模だけ雄大な計画は、隋代に楊堅(文帝)が事業を始めてその子煬帝(明帝広)が完成させたいわゆる「大運河」を髣髴とさせるものがある。と言うのも、この大運河は唐代以降の中国の経済発展に貢献はしたものの、事業主体の隋を亡ぼしてしまったと言われるからだ。

 楊堅煬帝はこの大運河を江南の軍事的制圧に用いようとしたが、唐代に入ってからは軍事目的というよりも商業目的に用いられるようになった。五代十国と宋代に至ってはその結節点に当たる帝都開封は一大商業都市としても発展した。北方から金が圧迫するようになって商業利用が減ったが、蒙古勢力は最短ルートで大都(北京)と江南を結ぶルートの運河を開鑿し、大都発展に大いに利用した。運河は元の北遷で打ち捨てられたが、明清朝海禁政策によって再び脚光を浴びるようになった。

 現存する運河は清代に徐州・天津を経由するルートに改められて機能はアップしたが、欧米列強の接近で外港が開かれたことで再び寂れた。辛亥革命後は日本の侵攻などによる国内の混乱で機能しなかったが、中共が成立してからはまたまた整備されるようになる。

 しかしながら、改革開放後の旺盛な水需要や河南の旱魃などによって運河の一部区間では涸渇による船舶の航行不能に陥っているらしい。わしゃこれは南水北調の将来が危ぶまれる予兆ではないかと懸念するものである。いくら水路を疏しても途中で過剰に取水されては、華北に到達する前に「ワジ(涸れ川)」になってしまうのではなかろうか。水が華北最重要地域の北京に着く前に全部飲まれてしまっては意味はあるまい。しかも、如何に水が滔々と流れようと、それが汚染物質満点できちゃないでは、それこそ汚染の影響を全土に撒き散らすだけの、文字通り「無用の長物」となろう。大運河よりも遥かに無意味な事業であることは間違いあるまい。

 優れた水質浄化技術を引っ提げてこの汚染水を浄化して工業用水などに利用しようという日本の企業による事業が始まってはいるが、それとても汚染物質に塗れた中国全土の水を浄化できる訳ではない。そんなことをしても高いものについてしまうだけで、水不足解消の抜本的な対策には程遠い。それは21世紀の大運河にしても同じではあるが、この南水北調なる愚にもつかない策を少々見てみるか。

 南水北調は長江の下流(東線)と中流(中央線)をそれぞれの起点として起工され、東線は一部区間を大運河を流用できたことから工事は早く進捗し、中央線も昨年には一部区間で疏水が始まったと聞く。しかし、当初から予想されていた通り、東線は運用コストがかかるくせに水はきちゃなく、中央線は建造にやたらゼニがかかってしまった。上流を起点とする西線の具体化の動きはまだないようだ。水資源確保に長大な水路を引くことなど、我が国の経験からしてナンセンスである。

 いや、水資源確保に手間隙かけることは江戸期から明治初期の我が国でも結構やって来た。芦ノ湖の水を引く箱根用水然り、熊本上益城通潤橋然り、猪苗代湖から郡山に水を引いた安積疏水然り、琵琶湖疏水然りである。でもまあこんなの、大運河や南水北調に比べたらその事業規模など屁ェみたいなモンではある。

 その代わりに、地方分権が確立していた江戸期にあって、我が国の山林は健全なまま守られた。それによって水資源も保たれ、維新後の産業革命につながった。文明開闢以来国土荒廃に明け暮れた中国と、中央から地方に派遣された官吏によって半島全土をハゲ山にされてしまったチョソンとは対照的だ。資源小国で極東の一島国でしかない日本が米欧に次ぐ第三極に踊り出ることができた最大の理由は、きれいな水が大量に確保できたことであることはこれまで再三再四述べて来た通りだ。大陸の東岸の中緯度地帯にあって四季がはっきりしている日本は、その適度に刺激的な居住環境の故にたまさかそこに住まう国民の意識が高まり、その結果として世界に冠たる国民国家を築くことができたに過ぎない。

 そのラッキーな環境に恵まれたことで、日本は中朝韓に対抗し得る力を得た。これを幸いとして、わしは悠長にこんなブログを書いていられるのである。苛烈な生活環境に置かれてる大陸の人々ではないからこそ、物事を客観的に見ることができるようになっただけだ。上から目線との誹りは甘んじて受けるが、これは特亜三国にできない特権と言うべきなのであろう。

 話が脱線したが、かように無意味な南水北調などをやるような中共政府は亡びて当然であろう。我々日本人ならば、何千何百キロにも及ぶ運河開鑿などという無策はしない。豊かな国土は治山・治水から始まることを知り尽くしているからだ。北に水源がなければ水源を作れば良いのだ。それが中国南方と違って造作なく大量の水資源が得られなくとも、わしら日本人は木々が雨を呼ぶことを信じてここまで来た。人が植林した端から盗伐してしまい、一本の木の力を信じられない国と民族に明日はない。習近平は、21世紀の煬帝かもしれんな。(つづく)