E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道 (174)

北○鮮に拉致された被害者に向けての短波放送「しおかぜ」は、北の妨害電波をかいくぐるために送信場所の位置を変えつつ継続して運営され続けているそうや。ところで、その妨害電波が近頃は飛ばんようなったあるちゅう話を小耳に挟んだ。どうやら、電波を発射でけるだけの電力にすら事欠くようなりよったみたいやで。電気もろくすっぽあらへん国が弾道ミサイルとは、正に乞食が馬持つようなモンやがな。アホか。

 

北の電力源の大半は水力で、両江・慈江などの山岳地帯を水源として発電しとんねんな。ところが近年では発電に必要な水量が確保でけんようなったちゅうねんな。まあそれは起こるべくして起こった言うべきやろう。原因は乱伐による山岳の湛水能力の低下や。

 

衛星写真で見たら半島の南は青々と繁ったあるのによ、北はまっチャッチャの禿山や。李朝同様に木ィ伐って植えんからそないなるんや。木ィ伐っても植えたらエエねんけども、んなことしたかて北の将軍様の歓心を買うことはでけん。委員長閣下も短期的な成果を挙げること強調するモンやから、なおのこと長期的な問題を解決しようちゅう空気も希薄になるわな。悲しい哉、治乱興亡の歴史は中朝民族から中長期的な視野を奪い去ってしもたんや。

 

状況は宗主国様中国にしても同様で、乱開発などで森林面積が急速に縮小続けたある。わしが中朝を中世国家に指定する理由の一つがこれや。韓国の場合は、外形的にこそ近代国家の体裁やけども、運営する人間のメンタルが中世やから、今の混乱がある訳やな。

 

清朝の康熙時代や乾隆時代に、天子の特別の思召で、博学鴻詞科―国家の法律で規定した、普通の科挙(常科)に対して、之を制科といふ―を開いて、天下非常の人材を徴召したことがある。今清の李集の『鶴徴録』、及び清の李富孫の『鶴徴後録』に拠って、その成績を観ると、矢張り南支那の人材が、遥に北支那に優越して居る。(中略)

以上の統計によると、康熙の時は、南支那の四十二人に対して、北支那は僅に八人、乾隆の時は、南支那の十四人に対して、北支那は実に一人といふ割合である。清末、資教院を開き、欽選碩学通儒議員を設けたが、実際に欽選されたいはゆる碩学通儒十人の中、浙江六名、福建三名、江蘇一名といふ風に、悉く南支那出身者に限った。南北文野の懸隔驚くべきではないか」

 

康熙・雍正・乾隆三代は、清朝の政治が最も安定してた時期て言われるけども、康熙帝朱熹に傾倒し過ぎの嫌いがあったし、雍正は謹厳に過ぎしかも苛烈な文字の獄で有名なやりにくい皇帝やった。乾隆帝の時代は国庫が充実しとったけども、文字の獄の弊は相変わらずで、白蓮教徒の乱が起こるなど次第に王朝の成立基盤に綻びが見られ始める。

 

雍正帝満洲語と漢文とを使い分けることがでけて、満洲語で書かれた書類には満洲語で、漢文で書かれた文書には漢文でそれぞれ書き込みを行ったとされる。やっぱし、伝統的な学問は漢文で行われるモンで、科挙では満洲語しかでけん満族にはムリやったやろう。南北格差の原因はこれやろう。

 

政治的に安定した時期は安佚に流れやすく、政治改革が行われるんはむしろ乱世やろう。ところが中国の場合、易姓革命に伴って全ての体制が根こそぎにされる。これやと悪いモンだけでなく、後世に残すべきモンまでワヤにしてまうことになり、こんなんでは政治に進歩が見られる方が不思議やろう。易姓革命の必要性ばっかを主張して、それにはこういう問題があるんやちゅうことを試験問題に入れんかったことも、科挙の悪弊の一つに数えるべきやなかろうか。(つづく)