E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(180)

暫く書かんかった間に東アジア情勢はドラマチックに変化したように見えるけども、その本質は全然変わったあれへんちゅうのんがわしの感想やな。「米朝会談」は単なるセレモニーでしかあれへんかって、北が核開発放り出す見通しは北が亡びん限り立たんし、相変わらず朝鮮半島は北東アジアの導火線のまんまや。

 

ほんでも近頃かなり大陸の経済状況は追い詰められてるようで、「取り付け騒ぎ防止のために銀行ATMの液晶画面から『引き出し』のボタンが消えた」やの、「株価暴落対策として上海の証券取引所に治安警官張り付けて、株を売却する奴をタイホする」やの、「株価が暴落したそのあくる日の昼下がりに上海の取引所に膨大な数の株を買い付ける謎の男が現れる」やのと、なかなかに愉快な現象が見られるそうやないか。これは言うまでもなしに自由主義経済圏では絶対にあれへんこっちゃけども、上がでけることは何でもアリの某国のこっちゃから、なりふりがどうのこうの関係あらへん。それだけに国が怪しなったらそういう形で示してくれるさかい、ある意味自由陣営よりも分かりやすいと言えようよ。わははははは。

 

支那の運河は、大体に於て南方の糧米を国都に輸送する目的の為に、開鑿されたものと認めて差支ない。隋唐宋時代に、長安、洛陽、開封が国都であつた時代には、江蘇、河南の運河が利用せられ、元、明、清時代に、今の北京が国都となつた時代には、山東、直隷の運河が利用された。国都の移る毎に、自然運河の水運も移る。運河は畢竟国都と南方とを連絡する糧道の咽喉に過ぎぬ。この糧道の咽喉が雍塞すると、国都の命脈が断絶する。唐の徳宗の時代、一時漕運が杜絶した為、長安の軍民は餓死に瀕した。やがて江淮転運使韓滉の発送した、南米三万石が到着するや、徳宗は太子と共に、吾父子得生矣とて、置酒相慶したといふ。元の大都を撤退した一大原因は、南人の離反によつて。江南の糧道を絶たれた故と伝へられて居る。明の経世学者丘●(●=さんずい+睿)の所謂、『恃運河。以為命脈』(『大学衍義補』巻三十四)もの、朱明一代に限らぬ。唐宋、胡元、皆同様である。故に支那の諺に、江(江蘇)浙(浙江)熟。天下足といひ、また蘇(蘇州)常(常州)熟。天下足といふ。支那全国の食料問題は、殆ど南支那、ことに江浙二者の豊凶によつて決すると断じても、過当でない」

 

時代はいつやったか失念した(多分宋元期)けども、他にも「湖広(湖北・湖南)熟。天下足」いうのんがあった。これだけ見たら中国はどんだけ豊穣な大地が広がったあるんやと羨ましなるねんけども、穀倉地帯が時代とともに動くちゅうことは、そんだけ中国は政情不安な時代が長いこと続くちゅうことを表したある訳やな。

 

ある国の工業が栄えるためにはその国の農業が繁栄することが条件やちゅうことこそ、生産工学の説く所なんやな。農業が根付いてこそその土地に民が根付き、腰を据えて工業とかの別の産業が根付くんやな。しかるに中国では農民が易姓革命の度ごとに農地から引っ剥がされるさかい、根付くモンも根付けへん。おまけにそないした根無し草の国民性やから、別に儲かりそうな話があったらそれまで続けとった仕事をほっぽり出すことも厭わん。こんなんでは中小企業が育つ訳あれへんさかい、それが支えるべき存在である大企業かて長いこと続かんのは当たり前なんやな。せやさかい日本人に「ネジ一つ作れん中国」などとバカにされるんやんけ。(つづく)