E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(10)

 戦史は歴史の重要なファクターや。それは、日本が戦争しやんとあかんようなった場合、どないして勝つかのヒントがそこにあるからやがな。せやさかい、戦史をちゃんと教えとかんと、国は滅ぶ。戦はなるべくしたないが、平和主義ちゅうか厭戦主義に陥った国もまた滅ぶ。これかて歴史が証明しとる。




 戦争は政治の実権や家督争いを巡って起こる例は応仁の乱だけやなしに、平安末期の保元・平治の乱でもせや。やから、教科書にその対立の構図を書かんと、戦争の原因も経過も分かりにくいやろが。




 戦争は次の戦争を呼ぶちゅうことも、是非とも教えんとあかんこっちゃ。山城の国一揆が、応仁の乱後の畠山氏の対立抗争に山城国人と農民がえらい迷惑して、こいつら追い出せちゅうことでおっぱじめたちゅうこと書かんと分からんやろが。加賀一向一揆かて、富樫氏の内訌に蓮如が介入することが発端で、しまいには門徒が富樫氏を滅してまうまでになってんな。




 跡目争いが頻発した素地には、室町幕府が日本の統一政権と違うかったんで、徳川幕府みたいに大名の「内訌除封」がでけんかったことがある。わが国では中央集権国家の成立はかなり遅れてて、その意味では当時の日本は中世にすら達してへんかったとも見える。一方で、秦が郡県制度を布いとったことから、中国は紀元前3世紀末には既に中世に突入しとったとも言える。ただ、貴族政権と武家政権の交代を迎えた時点が中世と近世との境目であるとの見方もあるんで、そうすると日本の近世はえらい長いことになる。織豊期の全国統一以降を近世とするんが日本史での主流の考え方で、それに殊更異を唱えることもないが、中世と近世の定義の試みもないんはどうかと思うで。




 さて、戦国時代に入って戦国大名が登場するんやが、歴史の初学者に直ちに守護大名戦国大名の違いを理解さすんは簡単やないと思うで。「幕府の支配の弱まる中、独自に領国を支配し、全国を統一しようとする者も現れ云々」ちゅう、平板な文章だけで理解でけんのかどうか心許ない。戦国大名の説明は戦国末期の織田信長絡みの話がいっちゃん分かりやすいが、それは次回以降に書くことになる。(つづく)