E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(149)

前回書いた通り、中国は21世紀になったかて未だに15世紀以前の中世(昔風に言うたら「中古」)史を紡いだある。近世(同、近古)ですらあれへんことは、唐代以降の「文尊武卑」からも明らかやし、民が軍人を侮蔑する態度は今も変われへん。せやから「民度が低い」なんて言うレベルですらあれへんし、それは近い将来に改善される見込みもナイ。
 
支那の礼制では、男女の別が厳しい。七歳以上になると、男女不同席とて、男子と女子と席を区別して兄妹の間柄でも、決して雑坐を許さぬ。不共食とて、男は男、女は女と、食器を区別する。また男女授受不親とて、男子と女子とは直接に品物を手渡してはならぬ。女が男から品物を受取る場合には、必ず篚(たけかご)を以て品物を受取る。生憎篚の用意無い場合には、男は跪きて品物を地上に置き、男の起ち上るを待つて、女は跪きて地上に置かれた品物を手にすべく、決して手と手を触接させてはならぬ。男女の別は親属間の場合が一番厳重で、親属の中でも、特に叔(弟)嫂(兄妻・あによめ)の間に、一番厳重である。嫂叔不通問とて、嫂と弟とは、挨拶すら交はすことが出来ぬ。支那は礼刑一致の国であるから、『唐律』を始め歴代の法律は、男女の別を正すべく、大なる注意を払つて居る。かくて親属間の不義は、内乱と称して十悪の一に列し、嫂叔の間の不義は、『明律』でも『清律』でも、皆之を絞罪に処して居る。
礼制でも法律でも、Sollen (引用者註:当為、必然。↔ Sein)としての支那では、男女の別極めて厳重であるに拘らず、Sein (引用者註:実存、現実)としての支那では、存外男女の別は乱れて居り、殊に近親間の異性の不義が多い。春秋時代を一瞥しても、直にその事実が判然する。衛の文公は、その叔母に報(不義)じて居る。衛の宣公や楚の平王は、その子の婦を奪つて居る。斉の襄公はその妹と通じて居る。支那の学者の多数は、春秋時代は乱世で周礼が破壊されて、かかる乱俗が流行したものと解釈するが、必ずしも正当と認め難い。何となれば、礼刑の整頓せる漢時代でも唐時代でも、依然として支那の歴史上に、彼等のいはゆる禽獣行と称すべき、破倫乱俗が畳見するからである」
 
中国が「礼刑一致の国」になったんは、孔子様が中国人の人倫の希薄なことを嘆いて「論語」を著したんと似たような構図で、つまり「男女不同席」ぐらい厳しいやらんと、「禽獣行」が横行してまうからやねんな。いや、「上に政策あらば下に対策あり」こそが中国人やから、どんだけ法制を厳しいしたかてあんまし効果は挙がらんのや。せやさかいわしは中国人を中世人ちゅうんやんけ。
 
我が国の仏教に厳しい戒律がほとんど見られへんのんには、日本人が素直であり、中国から渡来した儒教を自己研鑽のために重要視して、その倫理性を高めて行ったことと無関係やナイやろう。逆に、倫理に乏しい民を導くためには、厳しい戒律を伴う宗教でもって臨む必要があるねんな。(つづく)