E-BOMBERのアホアホブログ

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わしの鉄道事情大研究・電気機関車(8)

交流電機は1両で客貨両方の仕業をこなせ、しかも少数で大きな輸送がでけるとして、過去には地方幹線の救世主になると見る向きがあった思われる。ただ、交流電化にも結構深刻なな問題点が少なからずあるねんなこれが。これもまた後々国鉄清算・民営化の原因の一つになってまうねんから、技術動向の先を読むことの難しさを痛感させられるわい。

 

交流電化の最も深刻な欠点は、直流よりも危険なこっちゃ。正極と負極が交互することから絶縁が不十分やと容量結合が起こるんで、設備に近づいただけでもあむない。車両故障が起こったときは、一旦架線電圧を落としてからでないと復旧作業に入れんことかてある。何十年か前、いちびって電留線に停車したあった電車の天井によじ登った高校生が、架線に触れてもおらんのに感電した事件があったんを思い出す。交流と直流の別なしに、鉄道施設附近で自撮り棒使うなんて自殺行為やけど、交流の方が危険の度合いが大きいことは声を大にして言うときたい。特高圧の場合、電流の大小や絶縁耐圧よりも電界に気ィつけんとあかんねや。

 

また、交流電化の場合、き電線その他の地上設備が省略でけて安上がりになるて言われるが、それは場合による。交流電化設備は上記のような事故を未然に防ぐ目的で絶縁離隔を直流のそれよりも広い目に取らんとあかんし、絶縁碍子かて直流より大型のが要る。せやから、河川や断面の狭いトンネルの存在などの条件によっては、直流よりも電化コストがかさむ場合がある。七尾線が落下傘的に直流で電化された理由もこれで、直流電化区間を交流化する場合にもこれが考えれる。同様の理由で車両限界も直流よりも厳しなり、天井の高さが抑えられてまう。

 

さらに、交流では直流よりも周辺環境に悪影響を及ぼす可能性が高い。直流にも電食などの問題があるけども、交流の場合には誘導障害がある。近年の交流インバータ制御電気車では、時にインバータからの高調波成分の発生によってこれが起こることがある。また、複線区間では3Φ交流を2Φに変換してから上下線に振り分けて通電してるそうやが、通勤時などに上下列車の本数が極端に偏ると3Φ電源の平衡がずれることに起因して、高調波成分が発生することがあるらしい(「鉄道ファン」 1997年4月号 交流電化開業40年)。

 

それにや、交流電機は経済性が高い(高かった)んは事実やけども、それは国内の電化方式が交流で統一されとった場合の話であって、交流と直流とが混在する場合は必ずしもせやのうて、むしろ経済性が犠牲になってまう結果を招いた。それは、これらの区間を短時間で直通運転するために交直流電気車を開発する必要に迫られてんけども、そんでのうても構造が複雑な交流電気車に直流電気車としての機能を盛り込む必要があるんで、ますますもって複雑な構造にならざるを得んかった。出来上がった交直流電気車は直流電気車と交流電気車の双方の欠点をつき混ぜたみたいな代物で、電車・機関車ともに車両価格がべらぼうな上に故障率も高く、国鉄の経営の足を少なからず引っ張った。

 

この他にも、直流・交流の双方を採用したことにより、地方では交直セクションを境界とした地域交通の分断(北陸線湖西線羽越線など)が発生するなど、交流電化を採用したことにより結果として多くの弊害をもたらしたことは指摘されやんとあかんやろな。特に、湖西線永原-近江塩津間のセクション(現在は全線直流化されて解消)は車上切替方式で、特急などは交直流車でそこを高速に抜けとったけども、普通列車は鈍重な気動車が細々と走るのみで、事実上ローカル輸送では間接接続方式とそない変わらんかって、乗り換えの手間がかかる分こっちの方が間接接続より不便やったやろう。(つづく)