E-BOMBERのアホアホブログ

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(委員会NP)政治とは想定外を想定すること(3)

天皇が異例の「お言葉」を発せられ、いわゆる「生前譲位」がにわかに問題になった感がある。せやけど、現行制度の一世一元の下ではいずれこないなることは少々考えたら誰にでも想定でけたことで、これは単なる問題の先送りの結果でしかあれへんのや。

 

ただ、生前譲位は帝が「朕は年を取ったからもう譲りたい」とて、そないおいそれとでけることやあれへん。譲位した先帝が「太上天皇上皇)」となり、「治天の君」として天皇の上に君臨することも想定しやんとあかんからや。昭和天皇のように戦前は立憲君主志向が強くて、戦後も象徴天皇のあるべき姿を真摯に模索し続けた天子なればこそその懸念がなかっただけで、もしか英国のジョージ三世みたいにやたら政治に容喙してくる人が王位に即いてしもたら、どないなるやら見当がつかん。竹田宮恒泰王殿下が即位した場合を想像したらエエんかのう?

 

逆に、政府が政治的な都合で天皇を強制的に退位さしてまう懸念も存在する。その実例が英国王エドワード八世(ウィンザー公)や。巷間では「王冠を賭けた恋」で退位したて言われるが、児島襄「誤算の論理」によると、その度重なる親ドイツ的発言が英政府の対ナチス政策に悪影響を及ぼすことから退位に追い込まれたんが真相のようや。つまりこれは政治的圧力で国王が廃された前例であり、これがそのまま天皇にも当てはまる可能性がある。

 

児島は「英国王には政治的な権能はないが、その影響力は無視できない」と書いているが、正にその通りやろう。先の「お言葉」によって安倍晋三はかなり動かされたものと見られるし、今上陛下には先帝譲りのカリスマ性が備わっておられるものと拝察する次第や。

 

せやさかい、生前譲位を臨時立法などの小手先でもって決めることには慎重であるべきや思う。天皇は政治的権能なくとも万乗の位であることに変わりはあれへんで、それは幕末の「錦旗出動」で佐幕派が雪崩を打って帰順したことからも分かるこっちゃ。それだけに、健全な立憲君主制国家を構築するためにも、天皇の迭立ちゅう極めてデリケートな問題にはエエ加減な態度では臨めんねんやんけ。

 

畏くも天皇は単なる神主の親玉などではなしに、あらゆる意味で日本ちゅう国の形を決める存在でもある。やたら禁忌を作るのも考えものやけども、その神秘性を欠くようなことがあっては国民の支持も得られんようなるやもしれん。今の日本は近代法治主義を標榜する国家なんで、それに相応しい天皇像を法理論的に構築する努力も必要なことやとも思うけどな。(つづく)