E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しいみんなの公民」もあかんかった(4)

 数日前、とあるクイズサイトにいちびって、


「次のうち、資本主義の一種と考えられるのはどれか」

(1)共産主義

(2)社会主義

(3)帝国主義

(4)民主主義


いう問題出してんやんけ。正解はもちろん(3)の帝国主義やが、正答率が4割にも満たなかったんには呆れた。世の中には資本主義と民主主義の違いすら分かってへんアホがどんだけ多いかがここから窺える。それに、帝国主義が独占資本主義の究極的形態やちゅうことは高校の政経で習うはずのこっちゃねんけども、教育の無力さを感じるとともに、民主国家日本の行く末が案じられる。


 資本主義が民主主義体制でなかっても成り立つことは、戦前の日本を見たら分かるこっちゃがな。当時の日本は男子普選は行われとったが、新聞紙法などの法律があって言論は統制されてて、お世辞にも民主国家て言える状況やなかった。せやけど、財閥が政界と現在よりも露骨に癒着しとって、独占的に資本を集中さしとってんさかい、政商らによる独占資本主義の状態やってんがな。


 このような問題出されて間違うアホな大人にならんために公民科はあるが、その目的を達成するためには、間違いや偏向のない公民教科書が必要である。


 異文化理解は確かに必要なことであるが、オーストラリアではマルチカルチャリズムが綻びを見せ始め、同国の政府関係者らが我が国の調査捕鯨を批判するなどの問題が出て来てることも指摘されたい。リーマンショックや中国の経済的繁栄などの影響で、世界的にナショナリズムが擡頭して来てるんが現状やし、これこそが現代社会最大の問題にもなってんねんど。


 文化のグローバル化は、日本文化の優れた点を発信する機会が増えたことと、海外の優れた文化をより吸収しやすくなったこととを意味する。せやから、「日本文化の素晴らしさを海外に紹介する努力」だけを記述する夜郎自大は感心でけん。こういうのんを偏向しとるちゅうねんやんけ。


 せやけど、曽野綾子「夫婦口論」には全面的に賛成やな。日本人として立派であることは立派な国際人であるための必要十分条件やろう。英語ができるだけで国際人になったつもりになっている日本人は多いと思うが、それは明らかに違う。(つづく)