E-BOMBERのアホアホブログ

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(委員会NP)死刑廃止には一応反対の立場やけどな(13)

ここまで見て来たように、日本の警察・検察・裁判所は全く信用ならん。仮に真犯人に辿り着ける事件であっても、場合によってはそれを歪めてまうねんからな。警察・検察は証拠捏造しよるし、想定したシナリオと矛盾する証言が出たときは、証言者に証言を翻すように教唆することぐらい平気でやりよる。そこへ持って来て裁判官も自白偏重に引き摺られて物証を軽視しよるとあっては、冤罪が頻発せえへん方がおかしかろう。

 

わしは一応死刑廃止反対の立場ではあるけども、それはあくまでも公正な裁判が行われとることが前提の話であって、このザマで無条件に死刑存置に賛成なんかでけんわ。

 

せやさかい、コロシの現場を「見たんか(嘉○達夫調)」てツッコミが入るような事件に死刑はあかんやろう。その代わり、アキバの連続殺人みたいに現行犯逮捕された事件に限っては裁判官が「しけえなのだ(雨森雅司バカボンのパパ調)」て言うんは「はんたいのさんせい」ならぬ賛成なのだ。

 

冤罪を根絶するには「財田川よ、心あらば真実を教えてくれ」と判事が問い続けるだけではあかんのや。そのためには、警察・検察・裁判所から冤罪発生の原因である「物的証拠の軽視」「自白偏重からの脱却」「情実の排除」などを排除するしかあれへんが、残念ながら荀子が「人の性は悪である。その善なるは偽(人為)なり」て喝破した通り、日本の民草も検非違使も弾正台も刑部省も基本は悪やねんさかいそれはムリや。

 

近代法治主義は極端に言うたら「人を見たら泥棒と思え(ご教訓カレンダー風に言うたら「人に見られたら泥棒と思われたと思え」)」や。せやさかい、我が国の立法府は毎年開かれとって、野党は安倍晋三を森友問題でしばけるねんやんけ。日本が警察国家なるんも北○鮮なるんもかなんけど、国会内の発言は院外で責任を問われんねんさかい、民進党はナンボでもブーメラン飛ばしたエエねんやんけ。

 

須田のオジキが主張するように、「自分自身が何時か冤罪被害者になるかも分からん」て想像すらでけんで死刑存続を言う奴やアホやし、死刑を廃止することによって社会正義が達成でけるかどうかを想像でけん奴もアホである。いずれにしたかて、死刑存廃は高度に政治的な問題で、しかも極めて現実的な問題でもあんねん。共産党みたいに理想を高く掲げることも結構やが(わしは共産党の掲げる共産主義国家樹立の理想は否定するが)、現実を見やんと議論でけん問題や思うぞこれは。(しまい)