E-BOMBERのアホアホブログ

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(委員会NP)死刑廃止には一応反対の立場やけどな(10)

「検察は司法か行政か」で竹田宮殿下と北芝健氏が言い争いになりかけたけど、本来は「行政」の殿下が正しく、実態は「司法」の北芝氏が正しい。検事総長法務大臣が指揮権を発動した場合には首相と法相の指揮下に置かれるし、検察序列は総長・東京高検検事長大阪高検検事長最高検次長検事・法務事務次官名古屋高検検事長…の順番やから、これは少なくとも行政の建前であることになるわいな。せやけども、法務省かて戦前までは「司法省」呼ばれとったし、歴代事務次官の多くは最高検人事で就任する検察官やから、どないしてもその実態は司法になってまう。

 

さはさりながら、最高検が常時法相の指揮下にあっては、安倍晋三森友学園疑惑で訴追することが不可能なるやろうし、それでは日本が三権分立の崩れた大韓民国みたいな国になってまう。せやさかい、司法権の独立を担保するために、指揮権発動は「伝家の宝刀」に止めておく必要があんねんな。何でかように物騒な「伝家の宝刀」が要るんかちゅうと、検察には絶大な権力があって、それが一旦暴走を始めたら国が顚覆するレベルの大事になってまうからや。その必要性は、過去に平沼騏一郎らが率いた検察ファッショ勢力(戦後の公安検察勢力)一つ挙げるだけで十分過ぎるやろう。「帝人事件」でググればそのおっとろしさがバンバン出て来よるわい。

 

総務省や国家(都道府県)公安委員会の傘下の警察も行政やけども、「法の番人」でもある訳やし、重大事件が発生した場合には検察庁と協議する機会が多いことから、これまた「司法」の色合いを帯びざるを得ん。つまり、検察と警察は行政府でありながら司法の権力をも所持する極めて強い立場にあんねんな。せやのに、検察には検察審査会、警察には公安委員会があるだけで、その暴走をチェックする機構が不十分に過ぎる。せやから、「警察の警察」の他に、指揮権よりも穏当な「検察の検察」を国会内に設けることを考えるべきやないかて思うねんやんけ。

 

村木厚子・前厚生労働事務次官が冤罪被害者なりかけた事件はまだ記憶に新しい。証拠捏造が警察のお家芸やったら、証拠改竄は特捜検事のお家芸やで。(つづく)