E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

(委員会NP)死刑廃止には一応反対の立場やけどな(9)

ノンフィクション作家の門田隆将氏は「NP」で、「死刑を廃止してまうとリンチが復活してまう。仇討ち禁止令で私刑の手段を国民から取り上げたのだから、その上で死刑を廃止するのでは仇討ちに代わる制度がなくなることになるし、そもそも筋が通らない」というような趣旨の発言をした。紀藤正樹弁護士はそれに対して、「そもそも近代国家に国民の『復讐権』などなく、死刑か否かを決めるのは市民感情によらぬ司法だ」と反論する。

 

これは紀藤弁護士の言う通りやで。元神奈川県警刑事の小川泰平氏が言うには、殺人被害者遺族のほとんどは『犯人の死刑を望む』んやから、門田氏の言うようにしたら、殺人犯の大半が死刑になってまうことになる。んなことするんやったら日本は今すぐ近代法治国家の看板下ろす必要あるで。

 

それに、中田宏・元横浜市長の言うように、死刑と無期の落差が大き過ぎるんも問題や。無期でブチ込まれたかて、それが模範囚でのうても、法務省の判断で30年もしたら釈放されてまうのんが実情やし、無期懲役が塀の外に出てからまたコロシで捕まるちゅう事例が少なからずあんねんやんけ。

 

一人の懲役のために年間 300万を下らんだけのコストがかかる問題かて無視でけんさかい、無期・終身懲役は死刑よりもコストがかかる。人の命に係わることにコスト論を持ち出すんは不謹慎の誹りを受けるかもしれんが、事実は事実やねんさかいしゃあない。せやけども、一般予防ちゅう無辜の民を犯罪者から守る目的を達成するためには、犯罪者を娑婆から隔離しやんとあかんのやから、これは社会の安全を図る必要なコストやとも言える。

 

目的刑論の趣旨に従うんやったら、重罪の受刑者を「島送り」にするてことも考えれるが、どうもこれは近代法治主義の基本である罪刑法定主義に反する絶対的不定期刑に該当するんでムリそうや。島送りがあかんのやったら、ある程度の広さの農地を「寄場」にして、そこで終身刑受刑者に自らの食い扶持を稼がすちゅうことにしたらでや?

 

細かい話やけど、紀藤弁護士の言には歴史的事実と異なる部分がかなりある。彼は「死刑の代わりに島流しがあった」ちゅうけども、それは養老令の五刑(笞・杖・徒・流・死)や鎌倉期の貞永式目に死罪・流刑が規定されとった事実に明らかに反する(源頼朝の例に見るように流刑の全てが島流しとは違うが、承久の変後に後鳥羽院隠岐、順徳院は佐渡にそれぞれ流された)。室町期にも斬罪・絞罪・流罪の文言が刑罰関係の文書に見られるし、江戸期に獄門・死罪・斬刑その他の死刑と並んで遠島があったことは「遠山の金さん」や「江戸を斬る」見たことある人やったらしってるやろう。テレビで言うてることがウソだらけなんは、某公共放送の「ガッテン」やカンテレの「あるあるⅡ」に見る通りやぞ。(つづく)