E-BOMBERのアホアホブログ

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(委員会NP)死刑廃止には一応反対の立場やけどな(2)

死刑制度を設けたり存続さしたりするためには、冤罪を根絶さすことが「絶対に近い条件」になる思う。なして「絶対条件」とちごて「絶対に近い条件」なんかちゅうと、社会正義を保つためには刑罰が不可欠やし、死刑があるからこそ犯罪が抑止されるちゅう考えが大勢を占めるて思われるからや。つまり、冤罪は言うたら治安を維持するためのスケープゴート的な存在やな。

 

それにや、前回書いた通り、冤罪についてはよりシビアな考えが浸透したあると思われる欧州でも冤罪事件が起こってまうのが現実やから、冤罪の根絶はまず不可能に近いて考えた方が間違いは少なそうや。人間はエラーを犯す生き物やしな。

 

自動制御工学や信頼性工学の世界では、制御系の信頼度 100% なんて前提でシステムを組むことなんか絶対にあらへん。人と一緒で装置は必ずエラーを犯すモンやからや。せやさかいに、万一エラーが起こった場合に備えてフェールセーフちゅう仕掛けが必要なるねんやんけ。刑事法の世界にもこのフェールセーフに類似した仕掛けが必要なんやないかと思たりする訳やな。その伝で行ったらエヴァンス事件など冤罪の死刑は取り返しがつかんフェータルエラーやさかい、絶対に廃止しやんとあかんことになりそうや。

 

ところが、これはあくまでも冤罪被害者の側から見た論理であって、その他大勢の一般大衆の側に立ったものの見方とは違う。世間の人々は、犯罪者が逮捕・起訴されて別荘にブチ込まれたり、凶悪犯が死刑や終身刑になることによって、安心して生活でけるようなる訳やしな。実際これは目的刑論のうちの一般予防説の根拠となる考え方で、我が国の司法もこの一般予防説に則った判断を下すんが主流やと見られる。

 

つまり何が言いたいかちゅうとやな、これら二つ以上のものの見方・考え方をしやんで、死刑制度の存廃を議論することは不適切やちゅうこっちゃ。冤罪被害者の人権を守ることにのみ拘泥しとっては、ヘタしたらこの世の中は犯罪者にとっての天国になってまう虞があって、むしろ社会的損失はこっちゃの方が大きいやろう。

 

さはさりながら、とりあえずは冤罪被害者をゼロにするとまでは言わんでも、それをでける限り少なすることについては大方の理解は得られるやろう。そのためにはまず、どないやって冤罪が作られるんかを考えてみたい思うが、それは次回に回すことにする。(つづく)