E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(142)

桑原先生の中国における評判は今でも頗る悪いそうやが、その理由は彼らが長年に亘りカニバリズムの悪習を続けとったことの証拠を次から次へと挙げて行ったことの他に、古今の妄言を弄する中国人を容赦なしにしばき回ったことにもあるやろう。人間図星を指されると怒るんは当然やし、先生の場合は反論の遑を与えんでこれでもかとばかりに論難するんやから、怒りはさらに増幅されてまう。

 

で、今回妄言の廉でしばかれるんは梁啓超である。前回書いた通り、この男はまず、「人類平等の思想が支那で実行されて来た」と自著に平気で書きくさった。

 

(一)漢以後支那に階級制度がなく、国民は公権私権ともすべて平等であるといふ主張は、頗る史実と一致を欠く。何れの時代でも、支那には官民の区別が存在し、その官吏階級は、公私両方面に於て大なる特権をもつた。官吏階級―多くの場合官吏階級の一族妻子までも―が罪を犯すと、贖とか減とかの特別待遇を与へて、実刑を科せなかつた。民衆の中にも、良賤の区別があつて、公権私権に大なる相違があつた。『漢律』から『清律』に至る歴代の法律を見ても、官民良賤の差別に従つて、犯罪に対する処分に異同がある。賤民の如きは良民と通婚し得ざるは勿論、多くの場合物貨と同様に、若くは物貨と大差なく、売買を公許されて居つた。

 

歴史至上主義・原理主義に凝り固まった中国人に対しては、古文旧籍を挙げて議論すんのが一番効果がある。彼らはこれらを無条件かつ無批判に有難がる習性があるんで、この伝家の宝刀を抜かれたらたまらん。その代わり、深い恨みを買うことは覚悟しやんとあかんが。

 

続いての梁の妄言は「支那の政治は不干渉主義である」やけど、これも同様の手法で両断されてる。

 

(二)支那の政治は梁啓超の主張とは反対に、寧ろ干渉主義である。孔子のいはゆる民可使依之。不可使知之が、支那人の政治の信条である。政府は民衆を子供同様に、一々指導し、一々誘掖し、民衆は柔順に、その指導誘掖の儘に行動すればよい。故に儒教の理想とする礼制や政治は、干渉以上に干渉である。威儀三千とか曲礼三千とか、儒教の礼制は一律に煩細であるが、中にも『礼記』に「妾雖老。未満五十。必与五日三御、満五十不御」と規定せるが如き、妾の寝伽の度数まで干渉して居るではないか。政治も同様である。支那では父母が死亡すると、その喪期二十七個月間は謹慎して、夫婦寝室を異にして、房事を絶たねばならぬ。若しこの謹慎を忽にすると、官憲は制裁を加へる。『唐律』には父母の喪中に子を産む者を、一年の徒刑に処して居る。寝伽や房事にまで干渉する政治や礼制は、世界無類の干渉でないか。支那では例として吉事に赤(紅)色を尚び、凶事に白色を用ひる。それで至尊大故の時は、広告でも名刺でも、一般に赤色の使用を遠慮する。(中略)かかる瑣細な事項にまで干渉するのが、支那の政治の特色である。

尤も組織や機関の不十分なる支那の事とて、政治の干渉主義が、十分に徹底せぬ場合が尠くない。かかる場合には、干渉主義も実際上の結果は、不干渉主義と同一に見える。されど之に由つて支那の政治を不干渉主義と解するのは余りに妄断である。

 

何とまあ、妾とえつちする頻度まで決められとったんかいな。それに50いうたら当時はかなりの高齢やったんかもしれんが、まだまだ現役でいける人もいてたやろうにえげつない。どんだけ干渉したら気ィ済むねん。こういうんを「野暮の骨頂」ちゅうねん。

 

梁はさらに、「支那人の妥協性」を説くが、これは桑原先生の説く妥協性とはかなり中味が違ったある。

 

(三)支那人が個人としても団体としても、妥協性に富むのは事実である。(中略)併し一歩進めて考へると、支那人の妥協とは、互譲でなく、多くの場合、降伏又は屈服を意味する。

黄河は古来よく氾濫する。官憲も民衆も、之に対して備防の方法を講ぜぬではないが、多くの場合、氾濫すれば退去し、減水すると帰来するのが、支那人の慣例である。海賊が海上に横行すると、之を討伐するよりも、海舶の航行を禁止する。海賊が海浜を劫掠すると、これを勦誅するよりも浜海の住民を撤退せしむる。北狄が入寇すると、歳幣を出して之と妥協し、盗賊が蜂起すると、官禄を与へて之と妥協する。支那人の妥協は環境を征服するのではなく、環境に征服されるのである。支那人の妥協とは、しかく降伏の別名に過ぎぬとすると、梁啓超の主張とは反対に、支那人には存外容易に澎湃たる過激思想の侵入に屈服すべしとも想像することが出来る。

私は支那の赤化の可能性を積極的に予断するのでない。ただ梁啓超支那の赤化を不可能と断ずる、その立論の基礎の薄弱なることを指摘したに過ぎぬ。支那赤化の気運も昨年七月で一頓挫した。無智なる支那の大衆の間から、赤化運動も起るまい。新に成功した国民政府は、今後承認問題やら国権回復問題等について、列国の同情と好感を買ふ必要がある。この当面の立場から、努めて支那の赤化を防止すべく、旁々近き将来に於て、支那の赤化は先づ現実せぬものと思ふ。

 

1949年に中国は赤化してしもたが、これは日中戦争の副作用による所が大きいんは周知の通りで、ここでも中国人民は共産主義に屈服した恰好やねんな。

 

中国は自然条件が日本よりも苛烈で、人民は食うや食わずの生活を強いられとった。こんなんでは盗賊が出るんも当然で、盗賊を捕らえて殺したかてまた別の盗賊が出るだけやから、諦めるより他なかったちゅうのが実情やったろう。おまけに易姓革命の度に民は移動を余儀なくされるさかい、農業技術を磨こうなんて意欲が湧くこともあれへんかった。かくて民草は貧しいままで、妥協の塊ちゅうよりか諦念の塊になったんやないかて想像される。

 

こないして見たらわしも中国人民を哀れに思わんでもないが、洗脳されとるとは申せ、法治に馴染まず、反日を声高に叫ぶ彼らに対して穏やかでおり続けられる自信はあんましナイ。それに、日中は互いに悪しき隣人同士であることは覆いようのない事実なんやから、なるべく距離を置いてつきあうべきやろう。(つづく)