E-BOMBERのアホアホブログ

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「よそ者」こそが日本を救う(2)

 しかしまあ、21世紀にもなって「よそ者」でもあるめえてのが素直な感想やけど、地方に行ったら地元民から「見かけねえ顔だなあ」ていちゃもんつけられては、二度とこんな村来るかてなるわな。それこそが彼ら地元民の思い通りなんやけども、んなことしてるから地元が地盤沈下してまうねんやんけ。

 

 実際、地域の若者が駅前のシャッター通りを活性化するための献策をしたかて、その地域の長老や顔役の「よそ者が来るのは嫌だ」の一言でワヤんなってしもて、イオンモールららぽーとなどの攻勢を受けるに任すしかあれへん。若者らもそんな頑迷固陋な老人にガマンでけんようなって村を出て行ってまうさかい、ますます村の高齢化に拍車がかかる。

 

 無論、地域の長老らかて過疎化をどないかしたいちゅう思いはあるけども、それよりも彼らは地域の慣習やしきたりが若者らによって壊されることの方が嫌なんである。年長者であるおのれら主導で改革したいねんけども、さなぎだに外部からの刺戟に乏しい山間地に生まれ育った訳やから、新しい発想なんかあれへん。しかもおのれの貧弱な経験に基づいた考えを若者に押し付けるモンやから、若者は反撥して出て行ってまうねんな。

 

 よそ者を集落から排斥することにより、民衆の結束は堅固になり、防犯にもかなりの効果がある。せやさかい、近世以前の地域の治安を維持するのに一定の貢献をして来たんは確かや。せやけど、明治維新後の産業化や普通教育の普及などによって国民の市民意識が向上したんで、よそ者排斥の意義は急速に薄れたんけども、山間地のように外部からの影響を受けにくい地域ではこない旧態依然とした風俗や慣習が残ってまうねんな。

 

 「よそ者を排除するような地域はそのまま亡んでまえ」ちゅう乱暴な意見まであるけども、そんなんではその地域の人々も不幸のままや。しかも、これは少子高齢化の問題を抱える日本の縮図の側面もある。せやから、この問題を放置することは日本のためにもならん。

 

 そうは言うけども、一度凝り固まってしもた高齢者の考えを改めさすなんてことは容易なことやあれへん。そんでのうても日本人は保守性の高い国民性を備えてるし、余程の外圧を印加せんことには直らん。それこそ太平洋戦争敗戦ぐらいの強烈なレベルの外圧をな。

 

 それやったら、その強烈な外圧を地域社会に印加する手段を考えるしかあらへんみたいやな。それについて次回に書くことにする。(つづく)