E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道(111)

今回からは桑原隲蔵先生の「支那の国教問題」や。これは中華民国孔子の教え(孔子教)を国教にしようとしたことに対する批判の論文で、国教化問題の顚末を見ておったら、そこにも中国人らしさが垣間見えて面白いし、中国人のものの考え方も分かるんで、結構中国人の研究に資料を提供するモンやないかて思う。

でも、桑原先生も言及しておられるが、孔子教は宗教け?宗教ちゅうよりも倫理学やら政治学やらを搗き交ぜたような学問やないかて思われる。ただ、一部の例外を除いて現代においてもそれなりに有益な部分もある思うんで、道徳の時間に「論語」の素読をやるんも決して悪いことやナイやろう。少なくともわしらが小中学生時代に受けた道徳よりはの。

わしが通っとった小中学校では、道徳の時間に「にんげん」ちゅうおどろおどろしい絵ェの表紙が印象的な教科書(ちゅうより副読本)が使われとったが、その内容は子供らにとって有害無益なモンばっかやちゅうても過言ではなかった。わしらはこの副読本によって同和問題や在日問題などをしることになるんやけども、それがいらんことやちゅうんじゃアホ。

かかる人権問題を扱うことは、まだ残酷さの残る子供らにとっては差別を憎む心が育まれるよりもむしろ差別意識を掻き立てられる効果の方が大きいやろうよ。これは、ホンマに同和問題が解決してしもたら、これまで同和利権を食いものにして来た解同とかの連中が困るから、それを阻止するための陰謀やないか。現に解同は組織率が下がったことを嘆いて、せっかく解放された人々に向かって「帰って来い」なんて吐かしとる。この問題を解決するのには、世間一般がその存在を忘れることやのに、こいつらは組織の生き残りのために逆のことさらしとる国賊やで。

話はおもっくそ脇にずれたが、道徳の時間には「論語」の他にも、日本と中国との商習慣の違いなんかを教えるのも面白かろう。日本で無人売店があるんは、日本人がお互いの信頼関係を大事にする国民性あればこそで、中国のように「人を見たら泥棒と思え」のような殺伐とした社会では絶対にムリやちゅう話やったら、子供らも喜んで聴いてくれるやろう。ただ、中国が反日教育しとるみたいなマネしたら絶対にあかんので、ほどほどにする必要はあるやろけどの。

まあともかく、この孔子教は中国では無論のこと、朝鮮・日本にも多大な影響を与えたことは間違いあらへん。ただ、日本では孔子教や儒教が日本人の心の拠り所となり、その人格の陶冶にそれなりに役立った。これに対して、中国の歴史の中には儒者の衣を被った佞臣かてようさんおるし、朝鮮では王朝時代から現在の韓国に至るまで、儒教を君主や年長者が臣下や年少者を抑圧するための手段に堕してしもたあるなど、結構深刻な問題になったある。

それにや、ここがまた押さえとくべき点やけど、孔子教が開かれた最大の理由は、孔子様が中国人民に道徳がまるであらへんことを大いに歎いたことや。孔子様の有り難い教えが現代中国人民の身に沁みてへんことは昨今の中共の混乱がそれを示しとるし、それは辛亥革命直後の中華民国にしても事情はまるで変わらん。せやさかい、孔子教が中国国民統合の象徴になるとは到底思えんし、国教化は無意味なことや思う。

これらのことをふんまえた上で、次回から「支那の国教問題」について書いて行くことにする。(つづく)