E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(112)

前回から引き続き、桑原隲蔵先生の「支那の国教問題」である。

二十世紀にもなって「国教」でもあるまい、ちゅうのが正直な感想やけど、長髪賊(太平天国)の乱がそうやったように、辛亥革命の第一のスローガンは「滅満興漢」やから、この革命はフランスのような市民革命とは性質がちごてる。これは単なる満洲民族から漢民族への「政権交代」て見るんが正しいやろう。

そうでなかったら、漢民族や歴代王朝が支持してきた「孔子教」を国教にするなんか考えれん話や。孔子様の時代に「漢民族」なんて概念はなかったけども、西漢成立以降、征服王朝を除いた王朝は漢族の王朝と看做されとるから、これは漢族統合の象徴というべきやろう。チベット民族にはラマ教が、回族にはイスラム教があることを意図的に無視してかかっておるさかい、「漢満蒙回蔵五族共和」がどんだけ空々しい聞こえるか。実際、北洋水師を率いる初代大総統の袁世凱が自ら帝位に即こうとして失敗しとんねんさかいに、この段階で既に化けの皮は剝げとるねんけどな。

つまり、信教の自由と民族自決の時代に国教ちゅうのがアナクロの極致であるだけやなしに、多民族国家(彼らは「中華民族」なる人工概念を持ち出してこれを否定する)の実情を顧慮せずに漢民族だけの理屈をゴリ押しするとこに、この国教問題のアホらしさがある。民族問題を抱えた国が治まらんことは歴史が示す通りやし、今日のイラク・シリア・トルコの混乱かてそうやろう。これに収拾つけるには、つける薬がないものにつける薬である戦争しか手段あれへん。すなわち、中共には独立戦争が待ってるんや。

歴史に仮定は許されんちゅうが、もしか孔子教を国教にしとったら、中国はバラけとったかもしれんので、今にしてみたら惜しいとこやったとも言える。

ところで、国教を定めつつも信教の自由を認めた国があるんは事実やけども、それらの国の多くがその実自由な宗教行事を執り行うことの不自由があるなど、信教の自由が事実上骨抜きにされてる場合が多いことを先生は指摘しておられる。ほんでから、国教を定める国のほとんどが先進国になってへんことも同時に指摘されやんとあかんと思う。

例えば、カソリックを国教にした国々は、その厳重すぎる戒律のせいか、産業化に影響が出たんやないかて想像される。旧教は80年代まで地動説を否定しとったから、旧教を国教とする国では天文学だけやのうて物理学の自由な研究がでけるような環境なんか到底ムリな話や。イタリアやスペイン(現在いずれも国教廃止)が先進工業国になれんかった原因は国民性以外にこの辺にもあると思うが、でやろか。

結局、孔子教は国教にならへんかったが、その辺の顚末も中国らしい。袁世凱の帝位僭称が失敗した後、黎元洪が大総統になった。ところが、周知の通り当時の民国は軍閥が対立する時代で、黎は段祺瑞と対立しとった。黎は張勲に段との調停役を依頼したが、張は軍事力を背景に黎に宣統帝(溥儀)の復位をムリから認めさした(復辟運動)。ほしたら全国から復辟反対の世論が澎湃として沸き起こり、黎は張への協力を断って日本大使館に逃げ込み、張は段率いる討逆軍に敗れ、復辟は失敗に終わってんな。

この復辟運動には国教化に積極的な康有為や、同じく孔教舎のメンバーも後押ししとって、復辟失敗で国教化運動もその面目を損うことになってんな。この復辟運動の本質は、満洲族の傀儡皇帝を擁立して、漢民族が権力を壟断する体制作りを志向したモンやけど、そんな体制は漢民族であっても受容し難いわな。まず、復辟運動が起こるとこに中国人の保守性が見られる、と言えんこともナイわな。

軍閥闘争や復辟運動に明け暮れて、国家樹立後何年も憲法を制定でけん政権も情けなかったな。その根柢にあるんは、漢民族こそが中国の主人で、それ以外は胡族ちゅう例の中華思想や。それは先生が本文でこない述べたある通りや。

「(前略)康有為の如きは、確かデンマークや、スペインの憲法に範を取れと主張して居る。デンマーク憲法には信教の自由を認めてあるが、同時にその国王は必ず国教(ルーテル宗)を信仰する者に限るべきを明記してある(第五条)。若し中華民国憲法が、デンマークのそれに仿ふならば、道教信者や、仏教徒ラマ教を加ふ)や、回教徒や、将たキリスト教徒は、民国の大総統となることが出来ぬ。従つて蒙・回・蔵諸族が之に同意する筈がないのみならず、憲法草按の第四条―中華民国人民於法律上、無種族・階級・宗教之別均為平等―に明記してある種族・宗教の別なく、中華民国の人民は平等なりといふ精神を破壊することになる(以下省略)」

民国の廟堂に立つ漢民族の本音は、漢民族本位の憲法を制定することにある。そないな魂胆で、マトモな共和国憲法なんかでける訳あらへんわいな。もしか習近平が血迷うて民主化宣言したとしても、これと一緒のシナリオで事が進み、憲法制定議会の招集すらでけんまま内乱の時代を迎えることになるやろうな。この大陸の歴史は、太平の時間が戦乱の時間よりも大幅に短いことを示したあるし、中共になってからも大躍進や文革六四天安門事件と、大混乱期を招来しとる。

さて、中共になってからは共産主義が国教になった訳やが、これは砂粒みたいでまとまりに欠ける中国人民をムリから統合さす機能こそあれ、人民の精神的な支柱ではあらへん。それに、共産主義体制は高々70年しか続かんちゅう経験則に従うならば、この国教もあと3年で賞味期限切れになる。それから後にどないな旗幟を掲げて砂の市民を纏めることになるのやら、不安である。

支那の国教問題」はこんでしまいで、次回からは「支那猥談」の予定や。(つづく)