E-BOMBERのアホアホブログ

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わしの鉄道事情大研究・信楽高原鐵道(3)

 信楽高原鐵道列車衝突事故の詳細をしることは、単に鉄道事故の悲惨さを思い知るだけやなしに、地方中小の鉄道事業に潜む問題点を剔出することにもなる思う。鉄道事故を防ぐためのみならず、ローカル線の灯を残すためにも、このえげつない事故に対して正視したい思う。

 前回述べたように、この凄惨な事故は、信楽線の信号制御システムが監督官庁に無断に改造され、そのあむない路線に「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」の見物客が大挙して押し寄せた結果として起こるべくして起こったて言える。ほんで、それは鉄道事故で一番起こしたあかん正面衝突事故を防ぐために導入されたフェールセーフ機能を、大量の乗客を捌くため鉄道会社自らがこれをブチ壊しにした結果生じた事故でもある。んでもって、JR西日本が全然反省してへんことはこの事故が発生してから14年後に福知山線尼崎脱線衝突事故を起こしたことによってはしなくも露呈された恰好や。

 この「世界陶芸祭」が予想を超える大人気やったことが皮肉にも事故を大きいした側面がある。5月14日は平日やったにも関わらず、京都発信楽行臨時快速(列車番号501D;キハ58系5両編成)は混雑率約280%(乗客数が定員の約2.8倍)ちゅうえげつない程のすし詰め状態やった。んでもって、その頃、会場の最寄り駅の信楽駅には普段では考えれん程の客でごった返しとって、信楽高原鐵道(以下信楽)社員は技術系職員まで駆り出して観光客の整理を行うぐらいで、正に猫の手も借りたい状況やった。信楽駅では、上り貴生川行普通列車(同534D;SKR200系4両編成)出発信号が「青」なるのを待っとった。

 どんなにあむない保安システムであっても、ダイヤ通り走っとったら平穏に終わる1日やけど、僅かな綻びから大惨事に繋がってしもた。何やしらんけど、出発信号が何時まで経っても「青」なってくれん不具合が発生したんや。これとおんなしようなトラブルは信号・保安システム更新後すぐにも発生しとったが、その報告が上層部に上がってへんかった。しかも、信じれんことに出発信号が「青」ならんトラブルがあっても、「ダイヤがこないなっとるさかいまあエエか」てなもんで、「赤」のまま信楽駅を出発さしとった。これまで事故にならんかったんは僥倖としか言い様ないやろう。

 信楽駅制御盤のてこをナンボいじっても出発が「青」ならん。ポイントはちゃんと開通しとって列車出せるのにこれはどういうこっちゃ。帰宅する客で構内も溢れとるし、これから会場に来る客もあるちゅうのにと、信楽駅はパニクった。

 そんでも、信号があかんようなったら代用閉塞で行くしかナイちゅうことで、取るものも取りあえず小野谷信号場へ運転要員を派遣することにした。なおかつ534D列車に指導員を添乗さしたんで、その指導員をスタフに見立てた「指導式」か、指導員が通券を携えて票券閉塞と同様の閉塞を行う「指導通信式」のどっちゃかを行うつもりやったと見られる。その行動自体は誤ってはおらん思う。

 ところが、運転要員はクルマで小野谷へ向かってんけど、「世界陶器祭」はクルマでの来客も多かって、信楽線沿線の道路(国道307号)の渋滞にハマって動けんようなってしもた。本来やったら信号場に到着した運転要員が下り501D列車を当地で抑止し、無線電話で安全を確認した旨の通告受けてからでないと信楽駅から534D出したあかんのに、信楽駅の運転主任(後に業務上過失致死傷その他容疑で逮捕・起訴され猶予付き有罪判決)がしびれを切らしたんか534Dを出してしもた。代用閉塞の訓練やらんかったツケが回った恰好やな。

 そうは言うても、信楽線は単線自動閉塞なんで、それが正常に動作しとったら、534Dが出発した段階で小野谷信号場下り出発は「赤」を現示するさかい、小野谷に運転要員がおらなんでも501Dはそこで抑止され、正面衝突にはならんかったはずや。せやのに、小野谷下り出発は「青」なっとって、501Dは小野谷を通過して、534Dと正面衝突するに至った。

 小野谷下り出発さえ「青」現示せえへんかったら事故にならんかったが、何で「青」やったんかは事故後の検証でも明らかにならず、現在でも不明のままや。せやけど事故の起こったそん時に、ホンマやったら列車運行時間中に絶対やったあかん信号システムの点検作業が行われとって、それとの関連が疑われとるようや。後にこの作業やらかした信号設備会社社員も業過致死傷罪その他容疑で逮捕され、猶予付き有罪判決を下された。

 この事故の影響は凄まじいモンがあって、全国の三セクは、正面衝突で見る影もなしに大破した信楽SKR200系を見て怖気を振るた。何せ、多くの会社がこれと一緒の系列の気動車(LE-Car)をつことってんからの。もしか、信楽みたいにその地元のJRと相互乗り入れやって正面衝突でも起こったら信楽の二の舞いなるちゅうことで、線路を切って乗り入れでけんようするとこが続出してしもてんからな。このことで鉄道は利便性の面で大きく後退してまうことなった。

 わしが思うに、501D列車などのJRからの乗り入れ列車は全て貴生川通過として、貨物列車用の2番線(貨物用待避線)を通過さして、万一信楽線上り列車の遅延が生じた場合にそこに待避さしとけば、方向優先てこやなんかいらんかってんやんけ。ほしたら単線自動閉塞は正常にその機能を発揮するさかい、小野谷で列車が停止信号無視して冒進でもせん限り正面衝突なんか起こらんかったやろう。当時はまだ草津線の貨物営業は残っとったさかい、時間帯によっては貨物列車ダイヤとのバッティングの問題はあったかもしれんが、99年に同線の貨物営業が全廃されるぐらいやからそない頻繁に貨物の運転があったとは思えんし、貨物が何時間も待避線に入線したまんまとも考えにくい。一体JR西はそこんとこをどない考えとったんかしりたいわい。

 手短に言うたら、「信楽の未熟とJR西の倨傲」がこの事故を招いたて言える。本来なら鉄道のプロでなかったら鉄道事業をやったらあかんのに、信楽はプロを社内に迎え入れる努力を怠って、折角の単線自動閉塞をムダにしてしもた。JR西はその巨大な組織が驕りを生んで、信楽を思いのままにコントロールしようとして失敗したちゅうとこや。全国の三セクには成功例と失敗例とがあるけど、その理由は単なる沿線環境の問題だけやなしに、鉄道マンがおるかおらんかの違いでもあるんやないかて思う。全ての鉄道事業者は、その経営陣の経歴の詳細を世間に公表する必要があるで。

 付け加えて、会場の交通事情を早期に調査せえへんかった「世界陶芸祭」主催者にしてもその道義的責任は免れん思うど。この事故で中止なったんは正に身から出た錆いうやっちゃ。町興ししたい気持ちは分かるけども、交通機関が十分に整備されてへんとこでこのテの催しをやることには慎重でなかったあかんちゅう教訓を残すことになったな。

 ほんで、JR西はこの事故から教訓を汲み取らんまま、尼崎脱線衝突事故を起こした思う。JR西はHPで「私たちは福知山線列車事故を決して忘れません」言うとるが、信楽の事故についての言及があらへんとこにそれが表れとる思うがどうやろう。信楽の事故から14年後に尼崎事故が発生して、今年は尼崎事故から11年やから、この会社が真摯に反省しとるかどうかを判断するにはまだ時間がかかりそうやな。事故の原因は違えど、その背景に経営陣らの驕慢があった点は共通しとるんやからの。

 次回は信楽線のこれからについて書きたい思う。(つづく)