E-BOMBERのアホアホブログ

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わしの鉄道事情大研究・信楽高原鐵道(1)

 この路線について書くときに絶対外せんのは、言わずと知れた「信楽高原鐵道列車衝突事故」やけど、もう一つは水害や。国鉄信楽線時代の1953年に第一大戸川橋梁(当時の雲井-信楽間・現勅旨-玉桂寺前間)流失事故が発生し、翌年復旧してる。んでから、2013年の杣川橋梁流失事故に際しては、衝突事故の後遺症もあって廃線の危機にあるて言われたが、地元甲賀市の熱意などによって運転再開を果たしたことはまだ記憶に新しい。つまり、この路線にはかなり巨額の資産があって、それが鉄道経営の弱点になったあるちゅうことやな。

 現在の信楽高原鐵道第二種鉄道事業者で、インフラや車両は滋賀県甲賀市第三種鉄道事業者として所有する一種の上下分離方式で運営してる。これも経営基盤が脆弱であることから採られた苦肉の策で、こないなった最大の理由は信楽線の地理的環境による所が大きい。

 信楽線草津線の支線で、京都や県都の大津から信楽に行く場合には「コ」の字を描くように回り込む。これによう似たあるんが石勝線夕張支線(旧夕張線)の夕張で、夕張市の現在の苦境の直接の原因は無論中田鉄二のムチャムチャな市政にある訳やけども、その遠因は炭鉱の閉山や夕張市が札幌に「近くて遠い」とこやったからやろう。

 嘗ては函館線野幌-室蘭線栗山-夕張本町を結ぶ北炭夕張鉄道が札幌と夕張を短絡しとったけども、2段スイッチバックがあるなど線形や勾配に問題があって、炭鉱の相次ぐ閉山による貨物輸送の激減やバス輸送に押されるなどして廃止されてしもた。この路線をどないかして存続さしとったら今の夕張にはなってへんかった思うが、今の夕張駅の乗客は1日に100人もおらんそうやし、所属路線が石勝線やなかったらとうの昔に廃線されとるわな。

 信楽にとっても夕張は「明日は我が身」や。信楽線が今も生きながらえてるんは甲賀市民らの篤志による所もあるけど、その原動力やはり陶芸の町信楽を守るためやろう。それこそ、信楽線あっての信楽であり、信楽あっての信楽線や。せやけど、上に書いたように信楽線を取り巻く環境は厳しい。信楽は観光地として潜在需要が旺盛なんで運転本数を増やしたいとこやが、そのためには衝突事故の一つの原因になった小野谷信号場を復活しやんといかんようになる。

 どうも、この路線の活性化のためにはあの悲惨な事故についても触れやんとあかんようやな。少々気ィ重いが、次回は1991年の事故について書くことにする。(つづく)

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