E-BOMBERのアホアホブログ

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わしの鉄道事情大研究・南海(4)

 高野線系は汐見橋線が事実上南海線系に組み入れられたんで支線区はのうなった。泉北高速は準大手私鉄の一つに数えられるんやけど、事実上高野線の支線区的な存在や。せやけど、ここでは南海線の支線について書く。

 汐見橋線はその成り立ちが大阪高野鉄道なんで正式には高野線に所属するんやけど、前述の理由で高野線と直通運転でけんようになった。せやけど南海線とは直通運転をやろう思えばでけんこともなく、これを利用したキタ進出の構想もある。大阪市も以前のように市営モンロー主義を振り翳すことはのうなったから、JR関西線と呉越同舟の「なにわ筋線」も不可能やのうなった。

 せやけど、巨額の建設費が問題で、「それやったらいっそリニアに」てなるねんな。具体的なルートは決まってへんが、新大阪からウメキタ・難波を経て泉佐野市りんくう附近から海を渡るんが順当やろう。最小曲線半径が短なるんはこの際しゃあないとしてな。ちゅうことで、汐見橋線は多分このまま長期低落傾向→廃線やろうな。

 司馬遼太郎翔ぶが如く」に大久保利通が「音に聞く高師の浜のはま松も世の仇浪は逃れざりけり」と詠む場面が出てくるが、この短歌は現在の高師浜にこそ相応しいんやなかろうか。戦前までの風光明媚なリゾート地の面影は見る影ものうなって、今では堺泉北臨海工業地帯の一角としてケミカルプラントがでんと置かれてるんやからな。大正期に開発された住宅地居住者の輸送を担った高師浜支線も、現在ではこれらの工場で働く人々ら地域の足として機能してる。閑散時20分毎運転なんでまだ危機的状況ではないけれども、短い路線でもあり、輸送人員が1日3000人少しと特に多い訳やあれへんのんで、決して安泰とは言えんやろう。

 多奈川線深日港駅は淡路島への最も主要な玄関口として栄えた過去があるねんけど、70年代に大阪・神戸港から直接高速艇とかで行くルートがでけると客がそっちに移ってしもた。深日港は大阪のどの港よりも洲本に近いんで、本来やったら南海もそれに対抗して高速艇を導入し、できれば淡路輸送専用の特急ないしは急行車両を新製投入するなど、明石海峡大橋が架かった現在でもそれなりに有効な対抗策はあるにはあった。

 ところが当時の南海にはそないした手ェを打てるだけの余裕があらへんのが現実やった。ちゅうのも、そん時には南海線大阪市内連続立体交差化・高野線複線化の二大プロジェクトが進行中で、航路についても「南海四国ライン」の強化の方が急務で、淡路航路はなおざりにされた。しかも当時の高野線沿線は人口急増状態にあり、輸送力増強のための通勤車両新製にも迫られとった。せやさかい、南海線系ではせいぜいのとこカルダン特急車・初代1001系の部品を流用して造られ、通勤車両に併結して運用する10000系「サザン」導入ぐらいしか打つ手があらへんかった。連絡急行「淡路号」も70年代後半には7101系通勤車両が充当され(後に9000系通勤車両)、それどころか特急(「四国号」を除く)にまで7101モノクラス編成を走らす「しぶちん」な経営状態やってんからな。

 四国輸送も先細りの状態や。堺東や泉北地域からでも上記のルートつこた方が徳島に早う行けるねんさかいどもならんが。なまじフェリー輸送の需要が残ってるだけに高速艇への全面転換も難しい(過去に高速艇も就航しとったが、明石海峡大橋開通後輸送実績が激減して廃止)かもしれんが、このままやと和歌山港駅深日港駅の運命を辿ることになるやろう。泉佐野港と津名港を結ぶ航路ももうあらへんし、関空かて淡路・四国連絡の拠点になる可能性ありと思われたが、そこを発着する高速艇はあっけなく廃止されてしもたしの。

 ところで、本四連絡橋は3本とも既に完成してはおるけれども、いわゆる第二国土軸(太平洋新国土軸の一部;名古屋-三重北部-奈良-大阪南部-和歌山-友ヶ島水道-淡路島-鳴門-川之江四国中央市)-松山-佐田岬半島佐賀関半島-大分-長崎または熊本)が一応残ったある。紀伊水道を渡る橋梁またはトンネルに鉄道を通すことが考えられ、そのアプローチ区間として多奈川線加太線を流用することになるねんけど、これについての記述も長なるんで、それを次回に書くことにする。

 何時になったら高野線に行けるんやろか。(つづく)

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