E-BOMBERのアホアホブログ

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東大卒も認めた東大のアホさ加減(4)

 わしは別に東大をバカにすんのが本意とは違う。日本で一番優秀と見られる人材が集まって研鑽を積むべき最高学府が平和ボケしてトンチンカンなこと言うとるんがガマンならんねやんけ。こんなんを放置しといたら、またぞろ「敵性語」やことのしょうもない言論統制始められるかも分からんからよ。

 これを論理の飛躍ちゅうのは歴史の勉強不足やぞ。前にも書いた通り、早くから民主制度を敷いた欧米先進国では、軍隊がその軍事力を背景に国政を壟断すんのを防ぐ目的で、シビリアンコントロール文民統制)の仕組みを作った。つまり、軍部は政治に干与したらあかんちゅう訳やな。ところが、戦前の日本はセクショナリズム的な発想から、これに「政治の軍事不干与」ちゅういらんモンを付け足してしもた。その結果、政治家は軍事に暗なって戦時体制を乗り切る術を身に着けることがでけんで、しゃあないから軍部から首相を出さんならんようなってしもてんやんけ。軍部に政治やらしたらほらあ軍隊に批判的な勢力を排除したなって、言論統制おっ始めたなるわいな。せやさかい、大学が軍事研究を放棄してまうことは平和のためになるどころか軍国主義化を奨励するようなモンで、むしろ非常に危険なこっちゃねんやんけ。

 それはさておき、東大院卒の彼女は、近頃の東京人は首都圏かTPP加盟国ぐらいしか見えてへんかのようで、東京の町並みも西日本に見られる欧州のような多様性がまるでなく、どこともアメリカのマネしてるか、あとは北米と欧州の文化をごっちゃにしたような印象があると述べておられるんだわ。

 考えてみるに、東京帝大が欧米の学問や文化を日本に持ち込むことを使命としたことの名残が今の東大にも多分にあって、それでどないしたかて首都圏の大学はアメリカびいきになってまうねんやろな。一方で京都帝大には日米欧の他に中国を始めとするアジアを研究対象とする目的があったんで、それが近畿圏の大学における研究の多様性の元になったあると推測されるんやな。せやさかい、法学・理工学とかの西洋の学問を修めるんやったら東大または東大系列の大学、文学とか伝統的な学問をするんやったら京大てなるんやな。西日本の都市の多様性の根源はそこやとわしは思うんやけど、ホンマに文化の一極集中は、少なくともクールジャパン戦略上の懸念材料の一つにはなるわな。

 ほんでから、「日本の他の地域の人の発想も理解できない人々にしたら、知識の総合力がものを言う軍事研究の第一人者が日本から出てくるのは、あってはならないことなのでしょう」と結論づけてはるんだわ。

 入試の科目数が日本一多いであろう東大は、知識の総合力を備え、広い視野と多様な視座を持ってる人材が集まる可能性が高い大学やけど、その東大にしたかて、知識の総合力を発揮でける人材はほんの一握りやろう。ただ、軍事研究の第一人者をどないかして日本から出したい欲求はある。戦時下でのうても他国の軍事学者の言をウノミにするんは戦略上危険なことやからな。せやさかい、自前の大戦略家を得るためにも、東大には何としても変わって欲しいねんやんけ。

 せやけど、他の学問と同等以上に、軍事研究は権威主義に陥りやすいとこがあるし、権威主義に陥った軍隊はいずれ必ず負ける。昔、騎兵の権威が戦車という近代兵器をバカにしてんけど、それを盲信しよったフランス軍ナチスドイツにあっけのう敗れた。んで現在は、対戦車砲が開発されて戦車は無用の長物になりつつある。米国を権威と仰ぐ傾向の強い現在の東大は、確かに軍事研究には向いてへんかもな。そこまで考えてのこっちゃったら、総長アホ発言は取り消すべきやろな。ぶははははははは。(つづく)