E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

や◯きた◯じん、冥土に引っ越す(28)

 今週の「や◯きの委員会」では、資本主義の終焉ちゅう竜頭を掲げとったんでメシ食うのも忘れて見入ってたが、結局蛇尾に終わってしもたな。

 せやけど、これはどうも資本主義・市場経済だけがあかんのではなしに、経済のグローバル化が齎した弊害なんやなかろうかて思うようになった。実際、韓国・三星電子グローバル化の弊害を体現したような会社で、韓国人労働者がせっせか働いたかてその収益の大半を海外の株主に持ってかれてもうたあんねんさかいな。しかも三星電子は収益の柱をスマホに特化したんが裏目に出始めてて、そこへ反日があって部品調達にも悪影響なしとはせん状況である。

 それに、グローバル化は言うたら新自由主義(特に市場経済原理主義)の落とし子やけど、こんなん言い換えたら市場経済の無秩序化或いは無規範化やなかろうか。上述の三星電子は経済植民地主義の犠牲者とも言え、世界経済は帝国主義の時代に逆戻りしとるかのような印象がある。株式会社は株主のものやと我が国の株式会社法でも定められとるそうやが、会社も社会の一員であるからには社会のものでもあるやろう。わしも端株を持ってるんで一応は株主ではあるが、株主優待だけを期待して株主総会における投票権をろくすっぽ行使してへん「物言わぬ株主」でもある。総会屋もあかんが、無言の株主も問題なしとはせんやろう。

 少々前置きが長なったが、資本主義も限界となったらどないしょちゅうこっちゃったな。ほな社会主義にでもするけ?そんなん悪夢やがな。わしは青空の下でビフテキ食いたい思うし、毛沢東(けざわひがし・マオツォートン)の写真掲げて皆が貧乏な時代に戻ろうやなんてアホな運動に与しようなんて酔狂やナイど。

 「イデオロギーの終焉」が叫ばれ始めたんは今から50年も前の話や。にもかかわらず、イデオロギーに代わるだけのパワーを持った新たなパラダイムが呈示されたかちゅうたらそうでもあらへん。せいぜいのとこ、焼肉定食いや弱肉強食・優勝劣敗の世知辛い市場主義が蔓延って、貧富の格差の拡大で社会不安が募って行ってるがな。それやったらイデオロギーの再評価を試みるんも無益やなかろう。

 「第三の道」なんかそない簡単にめっからんことは、これまでの失われた20年ならぬ失われた50年が証明しとるわいな。それやったらまずは資本主義と社会主義の中間を見れや。我が国の社民党は論外やが、中欧・西欧の社会民主主義(民主社会主義)の活動はそれなりに参考になるやろう。

 社会改良主義ちゅうのがあるが、わしゃこれはあかんな思う。それは、これまでの労働運動史を見たら明らかやろう。労働運動そのものを否定するつもりはあれへんがの、国鉄末期から始まった不毛な労使対立や御用労組の存在など、組合員の政治的無知や無関心が産んだ醜悪な歴史でしかあれへんわいな。サンディカリズムアナルコ・サンディカリズムなんか唾棄すべきやで。こんな体制で、海外軍事力の圧迫受けたらイチコロやんけ。

 現在においても注目に値するんは、旧西ドイツの社会的市場経済か。アデナウアー内閣の経済相を務めたR・エアハルト(後西独首相・キリスト教民主同盟)はオルド(秩序)自由主義を提唱し、市場経済を基軸に社会的公正・不平等の解消を目指す立場から社会保障重視の政策を次々と打ち出したそうな。その結果、西独は「エアハルトの奇跡」と言われる経済成長を達成したそうやがな。ただ、旧東ドイツを取り込んだドイツはその支援のために厖大な経済支援を講じざるを得なくなり、そこへ持ってきて市場経済グローバル化の洗礼もあって、社会市場経済なる制度が独経済の足枷となってしもたちゅうことらしな(Wikipediaより)。

 ただ、ドイツをEUヨーロッパ連合)領域経済の牽引役に押し上げたんが社会市場経済であることに変わることあれへんし、少子高齢化社会を迎えた日本がその克服のために参考にすべきとこはようさんあるやろう。今のEUがガタガタなんはドイツ以外の加盟国がだらしないせいで、ドイツがあかんからではないど。

 せやけどな、言論に絶対者は禁物やし、高度福祉が戦乱の世紀にちゃんと機能するかどうかも大いに疑問がある。中共と韓国は自滅するやろから軍事力の直接行使の機会は多分あれへんと見るが、大陸の大混乱で難民が大挙して列島に押し寄せることがあらへんなんて断言でけん。わしらはあらゆる事態を想定することすらでけんが、この2国が滅んだ後の国歌の体制については今から真剣に考えとく必要があることはまず間違いあれへんやろう。