E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しいみんなの公民」もあかんかった(72)

 「国民国家」の語を教科書に書くんやったら、それについての解説が欲しい。ただ、これを中学生の大半が理解でけるように噛み砕いて書くにはわしにゃ一定の思考時間を要する。

 国民国家の定義が「単一民族国家」やとしたら、アメリカ合衆国国民国家と違うやろう。んでも、アイルランド系でもイタリア系でも、彼らには「自分はアメリカ人だ」ちゅうアイデンティティが確固として存在するさかい、米国は国民国家である。J・F・ケネディの大統領就任時の「国家が国民に何ができるのかを問うのではなく、国民が国家に何ができるのかを問うて欲しい」ちゅう演説は、国民国家でなかったらでけん。注意すべきは、民主国家であることが必ずしも国民国家の要件とは違うことや。

 では同じく多民族国家の中国(「中華民族」は実態から懸け離れた人工概念)はでやろか?この国では教育の場やマスメディアなどを通じて「中国は大国だ」とプロパガンダというか洗脳に近い手段で、中国国民としての自己同一性を人民の中に涵養しようとしてるみたいやが、その実彼らの中国国民としての意識は宗族意識に比べると軽いものと言わざるを得ん。せやさかい、この国が国民国家なのかどうかは甚だ疑問である。

 国民国家の考え方は歴史的に「百年戦争」を通じてフランスで発生し、ナポレオンの時代までにほぼ完成したらしい。アメリカの場合でも独立戦争米英戦争(第二独立戦争)の中で育まれ、南北戦争の混乱を経てより強化されたんやなかろうか。つまりは、自らの帰属する国を単なる知識として覚えてるだけやなしに、その国の国民としての矜持や国民個人と国家との一体性などがその要件になるんやないかて考えれるんだがどやろか。南北チョソンはどっちも国民国家としての意識が強そうやが、これらが統一された場合、米国レベルの国民国家になるような気がする。

 「国家の領域や民族がどこの国民に属するかは、時代の国際関係や国の主権の行使のしかたにより、必ずしも安定してい」ないことを、北方領土問題を具体例として示すべきやろう。実は、北方領土樺太の領有権問題の根っこは、明治初期までの日本はロマノフ朝成立前後のロシアともども、樺太・千島方面における領土意識が乏しかったことにあるて見られる。日露和親条約で千島は択捉島と得撫島との間に国境線を引くことがでけたが、その後千島(クリル)の範囲を巡る混乱が生じることになる。しかも樺太には両国の主張が対立して国境線を引くことがでけんで、とりあえずこれまで通り日露両国民の雑居地として扱わてんからの。そうすることによって樺太では両国民同士のさまざまな諍いが生じるなど両国にとって面倒な問題が持ち上がることになってしもてんな。この問題は樺太・千島交換条約で一応の決着を見るが、現象論的にではあるが、この時の国境の概念の無理解が、後の領土問題に禍根を残したて見ることがでける。こういうのんを島国根性ちゅうのやろうな。(つづく)