E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道(3)

 中国問題を語る上で、大韓民国や北○鮮を無視することは絶対でけんので、今回は韓国のことを書くことにしやう。

朴槿恵は21世紀の閔妃か)

 閔妃(明成皇后)て言われてもピンとけえへん人は多かろうが、彼女は朝鮮王朝末期の王妃で、大韓帝国最後の皇帝純宗の歳暮いや聖母もとい生母や。ホンマにマイクロソフトIMEはアホやなあ。

 彼女が15の頃、朝鮮王宮では安東金氏が幅を利かしとったんだが、興宣大院君李昰応(日本では単に「大院君」でしられる;高宗の父)はそれに対抗するために、自身の妻の一族でもあった彼女を高宗の王妃に推挙し、王宮に入る栄誉を得てんな。

 せやけどこの女、大院君に恩誼があったにも関わらず次第にこの舅と反目するようなって、凡庸で政に関心のあれへん高宗が長じて「親政」するようなると実権を握り、大院君派を宮中から追放しよってんがな。大院君は彼女を放置すると朝鮮が亡ぶ思て再度宮中に入ったモンやから、朝鮮の廟堂は大混乱や。

 西洋がでえきれえな大院君が攘夷を主張するモンやから、妃はそれに対抗する形で開国を主張し、日本と江華島条約を締結し、軍隊の近代化を図ってんな。せやけどその近代化の過程で旧来の装備の軍隊の機嫌を損ね、そこを大院君につけこまれて壬午事変が勃発する。せやけど大院君は清(袁世凱)に接近した妃によって天津に3年幽閉の憂き目に遭う。

 大院君が幽閉されとる間に妃は呪術に耽溺し、宮中は連日飲めや歌えの大乱痴気騒ぎで財政を濫費し、その煽りを受けて民草は窮乏の淵に追いやられてしもてんな。せやから、韓国ではあるジャーナリストが彼女を西太后みたいやと評して閔妃の子孫に訴えられとんねんやんけ。この間、妃は海外事情の変化からますます清朝に擦り寄ることにし、これに危機感を抱いた独立派の金玉均・朴泳孝はクーデタを敢行して政権を奪取する(甲申事変)。せやけど、またも袁世凱の介入を招いて三日天下に終わってまう。

 妃は欧米勢力の北東アジア伸張をことのほか警戒しとって、今度は英国に対抗する目的でロシアにも接近を始める。良く言えば権謀術数に長けとるが、露かてこの半島を狙てんねんさかい、ホンマに無定見な女やのう。

 ほんでいよいよ1894年に甲午農民反乱(東学党の乱)が勃発するや、清軍を引き入れて事態の沈静化を図るが、当時朝鮮半島の権益を巡って清朝と対立しとった日本軍をも招じ入れる結果になってしもて、半島は日清の戦場なった。これが閔妃の最大の罪て現在の韓国でも評されとる。大院君もなかなかの機会主義者ぶりを発揮して、北の中国軍と南の東学軍とで日本軍を挟撃しようとしとってんな。平壌陥落後にこの企図はあっさりとバレ、李昰応は日本に陳謝しとる。

 清朝が負けて日本の庇護を受けた大院君派が勢力を盛り返すが、妃は清を見限ってますます露に接近して遂には政権を奪還する。妃は反乱の芽ェを摘む目的で敵対派閥の武装解除を断行する。その後の政策は大院君派を徹底的に弾圧する方向にのみ固定され、しまいに大院君もブチキレた。

 怒り心頭に発した大院君は宮中に日本軍・領事館警官・大陸浪人(日本で食い詰めて大陸や半島に渡った政治活動家)を招じ入れ、妃はその大混乱の中で惨殺される(閔妃事件・乙未事変)。この際、暴徒は誰が妃なんか分からんで宮中の女官を手当たり次第に殺したて伝えられる。

 さーて、大韓民国大統領朴槿恵てこの閔妃に似てへんけ?大院君を日本の安倍晋三袁世凱習近平朝鮮半島竹島尖閣諸島やとしたかてそない違和感はあれへんやろうが。安倍の命を受けた自衛隊青瓦台に押し入ってクネを襲撃することはあらへん思うが、国内経済ガタガタやさかい、韓国人暴徒がその代役を務める可能性はあるで。現在の北東アジア情勢は第一次大戦よりも日清戦争前夜にそっくりの印象がある。在韓米軍の規模縮小は英国への対抗に重なり、反日世論の後押しありとはいえ、韓国政府の日本を見下そうとする姿勢見てたら江華島条約締結前の李王朝から1ミリも進歩してへんかのようやな。

 もしかこの推論が正しいとしたら、事大主義者のクネクネおばはんは大韓民国を亡ぼす。韓国は日本の集団的自衛権行使の範囲内の可能性もあるが、仮に人民解放軍が韓国に接近したかて、韓国の要請があれへん限り自衛隊は半島に進撃することはでけんやろう。にくそい日本の自衛隊を自国に招じ入れることは自動的に政権崩壊に直結するからのこの国では。んで、日本の支援を渋ってる間に漢城中共の手に落ちて、日本は喉元にナイフを突きつけられる。これはあくまでも最悪のシナリオやけど、こないなってから憲法改正論議始めたかてもう遅すぎるで。