E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しいみんなの公民」もあかんかった(65)

 政府が民主政権から第二次安倍晋三政権に代わり、日銀総裁黒田東彦に代わったかて、未だデフレ不況からは完全に脱却でけてへん。その大きな理由の一つには社会保障の不備にあるとの説がある。北欧三国みたいに高度福祉社会にすると働かんのが出てくる弊害はあるが、低すぎると将来への不安からせっせと貯め込むばかりで景気に悪影響になるんで、自ずと中度福祉が目標になるわな。一体どこを真ん中にするかで議論が分かれるが、生産年齢層の勤労意欲を保ちつつ、必要最低限の生活が送れる年金・介護・医療の確保が必要なんは論を俟たんやろう。

 その社会保障の柱の一本である年金ほど、政府・官僚によってエエ加減に扱われて来た制度もあらへんやろうな。日本人の寿命が予想を上回るぐらい延びてしもたことが背景にあるとはいえ、本来あるべき積立方式を賦課方式に改めてしもたんは自民党政権の失策やったの。その一方で、いわゆる「消えた年金」問題は、社会保険庁厚生労働省の外局)を解体して年金保険機構に改組しようとした第一次安倍政権に対する厚労省官僚の「自爆テロ」(中川秀直)やってんがな。

 こういう生々しい話を小学生相手にするんはわしもためらうが、中学生やったらわしゃするど。安もんけの政治家が党利党略で動くんと同様に、木っ端役人共は国家や国民のためやなしに、小吏小駅いや省利省益のために動く現実を教えるんは正しいて思う。公民科の目的が国家の制度を改善することを目的としとるんやさかい、むしろ当然のこっちゃろう。革命を殊更に煽った戦後民主主義的教科書は感心せんが、保守主義を煽る教科書も同時に弾劾されやんとあかんやろう。

 なして核家族化が進んだんかを論じやんで公民科は社会学の基礎にはならんやろう。「鬼嫁」が一時ワイドショーの定番ネタなったが、伝統的な姑の嫁いびりが社会の近代化(特に自由主義化)によって否定的に論じられるようなったことと無関係やナイやろう。社会の教科書が三面記事化するんはわしもまずい思うが、核家族化のみならず少子化・高齢化を論じるために避けて通れん問題や思うぞ。

 思うに、舅・姑の存在が若い夫婦の享楽に溺れたり家事や家庭教育を蔑ろにするんを防ぎ、延いては少子化を防ぐための安全弁として機能しとったんやないかて思う。ところが、高度経済成長による産業構造の変化で都市に若年人口が集中することによって旧来の家族制度が崩れ、それは同時に良くも悪くも地域社会をも崩壊さして、その結果今の少子化があるんやないか。そないした考察をすっ飛ばして少子高齢化を論じたかて、中学生が興味示そうはずがあらへんがな。頑迷固陋なじじばばは直らんが、若い世代をどないかするんが教育制度の存在理由やろがアホめ。

 第一章を読み返しても少子化の考察が全然あらへんし、この教科書も高校なったらゴミ箱直行決定やな。(つづく)