E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しいみんなの公民」もあかんかった(52)

 前にも書いたが、最高裁裁判官が国民審査で失職した例はあらへんのんでこの制度は形骸化しとる。それをまるで無視こいて、「職を失うこともある」とはエエ加減にさらせちゅうんじゃアホ。こないに事実と反することをおめず臆さず堂々と書きよる教科書は地上から永久に駆逐されんとあかんやろう。




 しかも、この制度は世論から超然としてやんとあかん(ホンマにそうなんかは議論の余地はあるやろうが)司法判断に世論の影響力を持ち込むモンとの批判があるが、それは傾聴に値する意見やろう。少なくとも、憲法及びある種の法律に通じてる法曹関係者以外の有識者とかでなかったら、精確で冷静な判断を下せんのと違うかと思うがでやろうか?




 裁判員制度かてこれに似たようなモンやろう。こんなん言うたら誰ぞがしばきに来るや分からんが、「八百屋の大将」「魚屋のおっさん」「そこらのリーマンのおっさん」に殺人事件を裁かせるこの制度にはおもっくそ違和感がある。日米貿易摩擦の時代、米国の陪審員制度によってどんだけ理不尽な判決が下され続けたことか、ネットでちょっと調べただけで嫌ちゅうぐらい出て来よるわィ。せやさかい、例えば裁判員はいきなりほぼ全ての国民を対象にすんのはやめにして、司法書士の有資格者とか、或いは国家資格のうち「法規」がその試験科目にある資格保持者までに限るとか、徐々にその対象をひらげて行くとかの方がエエんとちゃうかてわしゃ思うど。察官は兎も角、弁理士とか法律専門職を排除するんはむしろ逆や思う。




 「国民の一般常識を反映さ」すことを目的としたこの制度には、国民に徒に十字架を背負い込ます副作用があることが「足利事件」を引き合いに出すことによってはしなくも露呈されてるて言えるやろう。裁判員裁判の結果死刑執行されてしもた人が実は冤罪やったとしたら、その裁判担当した裁判員が気ィ弱かったら自責の念に堪え切れず自殺するかも分からんねんからの。




 「警察官は現行犯をのぞき、裁判所の発行する令状なしには逮捕や家宅捜索はでき」んと書いたあるが、「緊急逮捕」は令状なしに被疑者を拘束する手段として頻繁に利用されとるど。緊急逮捕憲法上問題があるんは事実やけど、後で札(逮捕状)が取れんかったら釈放せんとあかんことになっとんねんし、しかも特に凶悪犯やったら、無辜の民を守るためにある程度は止むを得んのんかもしれん。




 「拷問禁止」と言うが、実際には捜査員が「こら、おのれの家族もおのれとおんなし目ェあわしたろかワーレー」とか恫喝して被疑者を不当に追い詰めたりしよんねんやんけ。これも広義の拷問や思うねんけど、この手の強圧的な取調べ手法は、国民の間に「百人の真犯人を取り逃がしても一人の冤罪を出してはならん」とする合意が形成されんことには廃絶するんは絶対に不可能や思う。ビデオ撮影を検討すべきとの声もあるが、却って自白の任意性を妨げる可能性のあることも否定でけんので、これを万能視するんは逆に問題がある。弁護士立会いを認める方が現実的やろう。司法試験簡単なって数増え過ぎて、職にあぶれた弁護士ようけおるやろから。




 現状では「一罰百戒」による犯罪抑止効果を認める人が多いやろうことから、これを変革すんのは相当困難やる。刑事裁判での自白偏重の姿勢は相変わらずやし、冤罪防止と治安確保の矛盾は永遠の課題なんやろうか?(つづく)