E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

パチもん作曲家「河内守」

 「さむらかわちのかみ」ちゅうパチもんの作曲家がえらい渦中におるらしいの(犯罪者の名前はわざと誤読したる)。実は耳聴こえとったちゅうそうやさかい、音楽に付加価値つけるんを狙った嫌らしさも大いに批判の対象になるわいの。おまけに共犯者の新垣という作曲家の精神の弱さにつけ込んで虚名を博しとったちゅうねんからめっちゃ始末が悪い。この手のセコい男は世の中にようさんおるやろうから、桜宮の基地外暴力教師の問題が明るみに出た途端にスポーツ界のあちらこちらで指導者が選手をしばいとった問題がボコボコ出て来よったみたいに、ゴーストライター雇とったエセ音楽家がゾロゾロ出て来よるかもしれんで。キダ先生は大丈夫か?


 まずな、クリエイティブな仕事しようちゅうヤツはな、精神が強なかったらあかんねんやんけ。河内守に「曲作ってくれやんかったら自殺する」言われたぐらいで動揺しとってどないすんじゃいアホ。そない言われても「ああそうですか。勝手に死んで下さい」ぐらい言うたらんかィアホ。最悪でも雲隠れするぐらいでけんかったらあかんがなホンマに。それとも「や〇きの委員会」で言うとったようにこいつらホモけ?


 わしが推測するに、河内守の失敗は、なまじ高校卒業前に作曲法とかの専門書読み込んで、今更音大なんか入るんアホらしいて勘違いしてしもたこっちゃな。作曲家、特にクラシックの仕事やるモンにとって大事な五線紙の上の仕事ナメとったからドツボはまんねんがなアホ。なったらあかんのんはおのれがドタマん中で浮かんだメロディーとかを譜面に起こせんような半人前の音楽家やで。楽典をしらん作曲家とは、文字をしらん文学者にさも似たり。


 さらにわしの妄想を逞しゅうしたら、河内守みたいなんが出て来たんはカラオケのせいではなかろうか。一つの曲を繰り返し聴いとったらそれだけでとりあえずその曲歌えるようになんねんからの。美空ひばりが楽譜よう読まんかってんけど歌姫なれたんはこれが理由で、歌手は作曲家から渡されたデモテープの通りにうとたら間違いあらへんのや。


 せやけど交響曲はそんなんではあかん。そんでのうてもシンフォニーちゅうのんは、十数パートもの楽器がユニゾン・完全協和音・不完全協和音・不協和音を作曲家の思うように奏でるようにしやんとあかんねんからの。バロックの時代に音大はあらへんかったやろうが、誰ぞに師事して作曲家の素養を身につけててんやろが。


 それにしても、河内守が贋物やと見抜けんかったマスメディアも情けない。指揮者・演奏家へのインタビューを今頃やっとるようでは遅いちゅうねん。評論家の大宅壮一は「評論家の仕事というのは、偉そうなヒゲ生やしているヤツのヒゲを本物かどうか引っ張ってやることである」というような趣旨のこと言うたらしいが、権威に弱い日本のマスコミにはそれがでけんかった。もっと言うたら、ゴーストライター新垣はマーラードビュッシーら現代音楽風の作品を創る一方でJ.S.バッハみたいなバロック調の曲を書く「分裂病的な作曲家」らしいし、んなことすら指摘でけん音楽マスコミのテイタラクでは、第二・第三の河内守がおらん方がおかしいやろう。


 ゴーストライター立てるんは芸術のみならず出版文化をも冒瀆し、しかも一般消費者を愚弄する行為やろう。我が国の言論界はこれまでアイドルらの作品と称するそれら一連の出版物に対して目くじらを立てて批判することを「大人気ない」として放置しとったが、その結果がこれやとしたら、この姿勢は直ちに改めやんとあかんやろう。これは同時に、子供や女性といった社会的に弱い立場の人々の作品を変に持ち上げたり、「原爆」「ヒロシマ」「環境」などに対して水戸さんの葵の御紋みたいに無条件にヘーコラすることからも卒業しやんとあかんことを意味するのだが、情に訴えかけられると弱い日本人に果たしてそれがでけるのか甚だ心許ないんである。