E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しいみんなの公民」もあかんかった(45)

 三権分立(「さんけんぶんりゅう」とも読む)は、例えば「内閣総理大臣は国会の指名に基いて天皇が任命」し(憲6条1項)、「最高裁長官は内閣の指名に基づいて天皇が任命する」(同2項)ちゅうような形式的なモンだけではもちろんあらへん。我が国における司法権の独立は、朴槿恵のとこでちょろっと書いたように、大津(湖南)事件を裁いた児島惟謙・大審院長によって齎されたんが実情やねんな。


 一昨年暮れの総選挙のうち、1票の格差が2倍を超える選挙区選挙を「違憲・無効」とする高裁判決が出されて安倍政権と衆議院に衝撃が走ったが、ある野党代議士がこの判決を「統治行為」言うて批判したらしい。確かに衆院解散は内閣(事実上は内閣総理大臣)の専権事項なんで、形式的にはそうかもしれん。せやけど、これは現行の公職選挙法政治屋どものお手盛りで制定され、その不備が明らかにも関わらず放置された結果の判決と見ることもでき、それやったらむしろ「統治行為」やなんてこと吐かす立法府のメンバーこそ司法権の侵害しとんやないかて言えそうやな。ことほどかように、三権分立ちゅうモンは危うい存在なんである。


 話は少々難しいかもしれんが、三権分立に大きく関わることなんで、この統治行為について論考を試みたい。これは要するに、裁判所は高度に政治的な事項については司法判断を下すべきではあらへんちゅうことやな。ただ、一部の法学者からは抑も統治行為などは存在せんとする学説も出されてるらしいな。


 一例として、自衛隊憲法9条2項等違反とする訴えの司法判断は回避された(ただ、同項には「前項(戦争の永久放棄)の目的を達するため」とあり、戦争以外の目的での陸海空軍その他の戦力を保持することは違憲とは言えんとする意見もあるらしい)。んでから、内閣信任案否決または同不信任案可決による以外の衆院解散(いわゆる7条解散)を違憲とする訴訟についても、憲法69条は衆院解散のための条件を呈示してんのと違うちゅうことで、これまた司法判断することが退けられてんな。


 裁判所が衆院の解散を無効としたり、逆に総選挙を無効として衆院の解散を命じるようなことは行政権の侵害(立法権の侵害の疑いもあり)であり、特に前者は政治の行き詰まりを打破する手段を奪うようなことなんで、統治行為としてその司法判断を回避するんは一見すると妥当であるかのように思われる。ただ、法律の素人ながらつらつら惟みるに、これら統治行為が論じられる原因に憲法や法律の不備があるとも考えられ、そうなると統治行為否定論が説得力を帯びるように感ぜられる。わしら国民には法令を遵守する義務があるんやけど、悪法を批判する権利かてあんねんさかいにの。


 さはさりながら、憲法も法律も所詮は人の拵えたモンであり、完全無欠な法律なんか現実的に有り得んやろうし、憲法が「不磨の大典」やなんてそれこそ驕った態度やなかろうか。とどのつまり、人が人である限り、統治行為の是非論争は続くんやなかろうか。


 なしてこないややこしいことをわざわざ書いたんかちゅうと、社会科の先生かて生徒に「自衛隊違憲ちゃうの?」て聞かれてちゃんと回答でけるかどうか怪しいからや。それに、三権分立を言おうとしたら、わしとしては統治行為を避けて通るべきやないて考えたからやんけ。(つづく)