E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しいみんなの公民」もあかんかった(44)

 中学生程度が行うディベートは、例えば「プロ野球中継は試合終了まで放送すべきか否か」みたいに、社会的に影響の少ない事柄について行うんやったらそれなりの訓練にはなるやろ思うが、事の是非がはっきりしとることを材料に行うんは、思考力が十分育ってへん生徒に大きな誤解を与える元になる思うんであんまし感心でけん。そんなんやるんは大人になってからでも遅ない。


 子供にかて進路の選択など一定の権利があることはわしも認めるが、それはあくまでも限定的なモンであって、包括的な権利を認める訳には行かん。不十分な教育しか受けてへんで、勤労や納税の義務も果たせん子供に居住・移転の自由なんか主張されたらロクなことあらへんに決まったあるがな。Bの社説書いた奴はアホやさかい、こんなん論争するに値せん事柄や。


 「改正教育基本法」の場合、こんなんどっちゃにも与することはでけん。無条件に「我が国と郷土を愛せ」言われたかてそんなん到底受け入れられんが、その一方でわしら国民には主権者として母国と郷土を皆に愛されるように守り、或いはそれらを作り変える義務があるやろう。「公共の精神」から国や行政府の強制力を取り去れとは、無警察状態を称揚してるかのような印象さえ受けるし、「教育勅語の世界への逆行」に至っては、教育勅語についての吟味が欠けた短絡的な意見やろう。「一旦緩急アレバ」国を守るために行動することは、諸外国では当たり前のこととされとるねんからの。大体、日本は自由選挙制度と議院内閣制度を採用しとるんで、中央官庁にも自治体にも国民・住民の意思が反映されとることを忘れたらあかんがな。国・行政の力の及ばん組織によって教育が牛耳られとったから、桜宮高校の事件が防げんかったんと違うかな?


 「選択的夫婦別姓法案」の場合はでやろか?学術論文の著者名が結婚を境に変わることによるややこしさは世間の同意を得ることが困難かもしれんが、同姓であったかて家族の絆もクソもあらへん場合かてある。「家」制度の全てを否定するんは乱暴や思う一方で、様々な考え方を許容するんが民主主義なんやから、この制度は現在の我が国に合致してるような印象はある。「子どもは両親の別姓を必ずしも望んでいない」んはその通りやが、そんなん言うたらその逆もまた然りやろう。それに、上で言うた子供の権利云々にも関連するが、そない子供の意思を尊重する必要があるとは思えん。別姓にするか否かは大人が主体的に決めることやないのんけ?どうもこれかて論争する意味はあんましあらへんみたいやのう。


 「外国人参政権法案」なんざ端から論評に値せん。日本以外の全ての国が同様の法律を制定したちゅうんやったら議論を始める価値はありそうやが、何も率先して国民の主権を侵害する法律こさえることもあらへんがな。


 辛うじて論争の価値がありそうなんは「海自の補給支援終了」ぐらいか。ただ、これとても現行憲法を肯定する立場と否定する立場との激突が予想され、真の意味で議論が深まるかどうか疑問やな。せやから、「憲法9条」に議論がすり変わらんように教師が前もって注意するとかの配慮がなかったらあかんが、果たして必ずしもそない指導の宜しきを得られるんかどうか。「テロ」や「シーレーン」などは重要なキーワードなんで、どっかで議論してもらうこと自体は有益なことなんやが。


 いずれにせよ、ディベートするには問題があり過ぎるテーマしかあらへんと思う。教科書は執筆者が自己満足を得るためにあるんちゃうぞ。(つづく)