E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しいみんなの公民」もあかんかった(33)

 個人情報の保護に関する法律はこの教科書に書いたあるように、国・自治体・企業の持つ個人情報を慎重に管理して、個人のプライバシーを保護することを目的としたものとは違うぞ。その目的は同法1条に書いたある通り、「個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利権益を保護することを目的と」したモンやがな。高度情報化社会で企業が正当な手段で入手した個人情報がその活動上いかに有用であることを書かんで現代社会の教科書になるかアホ。執筆者に神経が足りんからこないどうしょうもない教科書が出来上がってまうねんな。




 環境権は、社会問題の初学者にとってそれが単純な問題やあらへんことを説くんに恰好の教材になる思う。せやのに、こない平板で薄っぺらい記述では読んでも身ィに染みん。




 例えばやな、鉄道騒音は車のそれよりもえげつないことが結構ある。そやからちゅうて鉄道をなくしてしもたらどないなるか、ちゅうことを考えさすんがそれやろう。わしは以前に、何でも無暗に考えさすような作りの教科書にしたらあかんと書いたが、エコロジー環境学)ちゅうのんは今でも専門家の間で数多の論争が続いてる学問分野なんで、中学生を含めて論争すんのに最適や思うねんな。




 日本が国際連盟に人種差別撤廃を規約として盛り込もうとした背景には、日露戦争戦勝によって欧米列強からいわゆる「黄禍論」が澎湃として沸き起こってしもて、そこへ持って来て日本が不況や産業構造の歪とかによって労働力過多状態に陥ったんで、米州諸国に余剰労働力を移民(棄民)さして、彼らが移住先でえげつない待遇に喘いどったこととかが背景にあることを書かんと分かりにくいんと違うかのう?




 「子供に人権などない」「いや、ある」とか言うて、今は亡き三宅のジジイが田嶋陽子と「や○きのそこまで言って委員会」や「たけしのTVタックル」とかでよう言い争いしとったが、これはお互いの会話のインピーダンスマッチングが狂とるようなモンで、何も三宅は子供の人権を全否定しとった訳ではあらへん思う。ただ「権利には必ず義務が伴う」ことを主張するために表現が少々オーバーになってしもただけやろう。これについては後でより詳細に言及することになるやろう。




 なお、本連載の(28)で、わしは大規模店舗が中小の商店の経営を圧迫することについて批判したが、ここではいわゆる「お買い物難民」への視点が欠如しとったことを知人の読者から指摘を頂いて気づいた。そこで、次回はこれについての一部訂正と補足を行いたいと思うが、この問題は地域の過疎化とかを含めて現代社会の深刻な問題を孕んでることにも同時に気づかされたんで、結構長い文章になるかも分からん。(つづく)