E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しいみんなの公民」もあかんかった(30)

 憲法26条は「全ての国民は能力に応じて等しく教育を受ける権利がある」などと謳ってはおるけれども、わしには今の学校が全然そないなってへんとしか見えんのである。何でや言うたら、ホンマに「能力に応じて」言うんやったら、同じ年齢(学齢)の児童や生徒がおんなしレベルの授業受けるやなんて不自然なことが起こらんはずやからや。




 わしの記憶が正しければ、中学では言うに及ばず、小学校低学年の時でさえも、クラスの半分以上の子供がテストで60点以上の得点を挙げるやなんてことはあんましあらへんかったど。せやのに、それら合格点に達しない者も平気で次の年には学年が一つ上がるんである。これでは、学校がおもろのうなって暴れたなるのが出て来てもしゃあないで。落第は子供の劣等感を強く刺激する言うて反対する衆は多いが、クラスの半分以上が落第するんが常態化したら、んなことで劣等感に苛まれる子供もおらんようになるやろうし、皆嫌でも勉強するようになるやろうて。




 それに、優秀な子供はある程度はほったらかしにしても勉強を進められる。そんなデキル子供にはテストで測れん学力にだけ教師のマンパワーを割いて、それで余った力を優秀でない子供に振り向けるようにするんである。これこそが憲法26条の理念に適う教育の現場やないやろか?




 聞くところによると、日本の中学卒の学力は欧米の高卒の学力を上回ってるそうやけど、それにあぐらをかいとってはあかん。資源小国は知識集約型産業でしか食ってけないんで、公教育をもっと充実さして国民の学力の底上げを図る必要がある。しかるに、こんな欠陥教科書を何の疑いもなしに持ち上げるような低水準な国民しかおらんようでは、日本の産業に明日はナイ。(つづく)