E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しいみんなの公民」もあかんかった(23)

 この教科書では、「夫婦別姓」を否定的に捉えさせるためにか、「夫婦同姓を家族の一体感を保つ働きがある」としとるが、それについてはわしには大いに異議がある。




 夫婦別姓の中国や韓国は、日本では考えれん程に血縁を重視する。中国人に公衆道徳や公益に対しての意識が乏しいのんは、血族の利益を第一とすることがその理由として考えられるし、歴代の王朝で政敵に罪科を被せて九族誅滅(族誅)しとったんも、宗族意識の強さを表しとるやろう。韓国でも、歴代の大統領の任期が終わる前後になると、その一族が汚職などで訴追されることが常態化しとるが、これかて宗族の成功者にたかる血縁社会の悪しき慣習があんのがその原因と言えるやろう。




 せやさかい、夫婦別姓のデメリットを論うには、日本独特の事情を説明する必要があるが、それがここに一個も挙げられてへんから、説得力がまるであらへんのだ。




 んでから、「夫婦別姓の中国・韓国では家系図に女性の名が出て来ェへんから、日本で夫婦別姓にするのには性差別の問題がある」ちゅうようなことを主張する向きがあるみたいやが、それは田嶋陽子ばりの論理の飛躍やろう。別姓であれば家系図に載せれん訳でもあるまいし、それに、儒教の劣等生である日本で、今更韓国みたいな高いレベルの男尊女卑社会が現出するとは到底思えんのである。教科書が不勉強な政治家みたいなこと言うてるようでは、この国の将来を危ぶまずにはおれん。




 次は部落差別問題か。このあってはならん差別を退治したい思うんやったら、こないなことを軽々しく小中高の教科書に載すべきではあらへんとわしは思う。その第一の理由は、誤解を恐れずに言うならば、彼らぐらいの年齢の者にはまだ蛮性が色濃く残ったあるからや。部落差別の存在を未熟な頭で知ってまうと、差別落書きや電子掲示板への差別的な書き込みにつながるんは理の当然やろう。イジメなんかの原因にもなるしの。




 もう一つの大きな理由は、差別はその存在を忘れしめることによって解消に向かうと考えられるからや。然るに、道徳や社会の教科書でそれをほじくり返すみたいなことを書いてまうと、折角皆が忘れそうになってんのんがワヤになってまうがな。




 せやさかい、人道的な見地から、部落差別に限っては、その学習や研究は高等教育機関だけに委ねた方が世のためになると考える。学問の自由はあくまでも人の幸福を追求するために保障されとるんであって、謂われなき差別に苦しむ人をさらに傷つけることのためにそれを主張したらあかんやろう。




 この教科書の執筆者には、社会をより良くしようちゅう意識があらへんみたいや。かかる欠陥教科書で勉強させられる中学生が哀れでならんわい。(つづく)