E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しいみんなの公民」もあかんかった(13)

 この教科書は中学生対象である割にはマスメディアについて結構突っ込んだ記述がされていて、そこは評価できる部分やけれども、それにしてもツッコミ所がまるでナイ訳ではあらへん。詳細は後で述べることになるが、桜宮の件に絡んで、マスコミの問題について先に少し触れときたい。




 考えてみれば、常にわしら単純な読者の関心を惹くことしか考えとらん(としか思えん)マスコミが、橋下のコスプレを攻撃しやんで、生徒や保護者を敵に回すような論陣を張る訳あらへんわな。全体的に三面記事化したマスコミにあっては、例によって過激な言動の橋下を攻撃した方が楽してセンセーショナルな記事に仕上げやすいて考えるやろうからのう。マスコミ各社の「橋下叩き」のカラクリの一つがこれやねんな。




 ほんでからの、安もんけのマスコミにはの、蒼生は無条件に無辜の民であるちゅう思考の定式があんねや。せやから、人民である生徒や保護者を敵に回すことは即ち読者を敵に回すことになるんで、彼らは絶対にそないな愚行はせえへん。生活保護費の不正受給が国家予算の結構な部分を占めとることからも分かるように、人民が官吏の苛斂誅求に喘いどったんは昔のことで、今ではシロアリ官僚と並ぶ立派な巨悪であることを、日本国民はもっと意識する必要がある。これも反橋下キャンペーンの背景やな。




 この事件を知れば知る程に、同高の生徒や保護者の問題が明らかになって行くんやけれども、もちろん新聞やテレビ各社はんなことは百も承知のことである。せやから彼らはそれを無視して保身を図っとるだけやねん。従って、彼らは桜宮や教育委員会と同質なんである。




 とどのつまり、マスコミが庶民や正義の味方である理由なんか微塵もあらへんし、こんなんではメディアリテラシーを説くどころの騒ぎとは違う。真実と事実とは全然違うと言うが、それはホンマやな。報道で伝えられたことが事実として一人歩きを始めてまうと、後はそれがどんだけ真実から遠離ろうがマスコミには関係あらへんのであり、そんでも地球は回り続けるんである。




 新聞やテレビが全く当てにならんとなると、後はネットやケータイとかの空間ぐらいしか残らんが、こちらは既存のマスコミなんぞ比較にならん程にハレンチかつ無責任で、到底信を措ける代物とは違う。まあ、わしのブログもこの類なんやが。




 そんでのうても、あんましホンマのこと言い過ぎたら、勝谷が「や○きの委員会」切られるみたいなことになるんが世の現実である。好き放題書けるんはブログぐらいしかナイんだが、珠玉は瓦礫に埋もれてまうようにでけとって、真正な言論が世に広まる可能性は極めて低いと断ぜざるを得ん。わしらは何を信じたエエねんやろか。(つづく)