E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(77)

 朝鮮戦争は我が国に朝鮮特需を齎しただけでなく、その後の韓国と日韓関係にも暗い影を落とすことになってんし、しかも、朝鮮戦争の過程を学ぶだけでも、歴史を学ぶことの意味が理解でけるんで、中学教科書といえども、隣国の悲劇を詳細に記述する必要性を感じる。




 まず、戦争は二国間の軍事勢力が均衡しとる時には起こりにくく、そのバランスが崩れると起こりやすくなることを学べる。当時の朝鮮半島では、産業インフラは山岳地帯を多く抱える北朝鮮に偏在しとって、しかも、軍事力でも中国共産党と共闘した実戦経験豊富な部隊を擁してた。




 こないにも戦争が起こる条件が整っとったにも関わらず、トルーマン朝鮮戦争勃発の24日前に「この5年間は世界のどこでも戦争は起こらん」と、呑気な発言をする有様で、同政権のアチソン国務長官は「米国の防衛線は比-沖縄-日本-アリューシャンである」と発言し、「米は南朝鮮を見捨てた」て金日成を喜ばした。




 しかも、当時の韓国は5年前までの日本統治の腹いせもあってか、「対馬は元々は韓国の領土やったさかい取り返す」やなんてムチャなことしそうになったんで、怒った米国は在韓米軍を引き上げた。日本固有の領土の竹島を実効支配することは韓国の国益にも反する可能性があることはここにも示されとる。




 金日成はロシアのスタ公に南の武力による統一の許可を求め、スタ公も「毛沢東の許可があればよろし」と事実上のゴーサインを出し、これで北の南侵攻は決まり、「ポップン(暴風)」の合図で北朝鮮軍は突如として韓国に攻め入った。




 北の軍事行動の開始は、朴正煕中佐の部下であった情報将校の金鍾泌がこれを察知してんけど、彼の上官はこれを信じず、易易と北朝鮮軍を韓国に入れさせてしもたばかりか、それから1週間も戦況や友軍の掌握もでけんかった。実戦では、こないした暗闇の中で手探りをするみたいなことが往々にして見られるちゅうことを、軍関係者だけやなしに一般の人にも知ってもらうことは不利益なこっちゃないやろう。




 戦争のことを学校で詳細に教えたかて軍靴の音が聞こえるようにはならん。繰り返し言うが、戦争のことを知ることは歴史の勉強になるだけやなしに、国家の経営や会社の経営にも資することが極めて大きいんで、次回も引き続いて朝鮮戦争のことを書くことにしよか。(つづく)