E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(75)

 昭和戦前史を語る上で、昭和天皇のことを触れずには前に進めん。彼の人は英国長期滞在を通じて、立憲君主への志向を強めたらしい。




 敗戦後、日本共産党委員長を務めたことのある田中清玄は天皇に対して「何であのときに開戦を止められなかったんか」と問い質したそうやが、天皇は「田中は日本の憲法を知らんよ」と語ったらしい。




 明治憲法天皇は元首として統治権を総攬し、帝国議会の協賛に基づいて立法権を行使するとある。これはつまり、天皇の統治は内閣と帝国議会との輔弼があってこその大権であるちゅう意味である。




 せやから、ぶっちゃけた話天皇には実権はなかった訳やが、実権はなくとも、その発言の影響力は無視でけん。せやけど、天皇帝国議会などで自らの意思を表白することはあらへんかった。立憲君主たらんとする考えがそれを押しとどめたんやろうが、結果としてそれが国を誤ることになってしもたことは否定でけんやろう。




 「天皇は国家の最高機関である。機関説で良いではないか」と美濃部達吉を擁護するなど、天皇には憲兵特高が飛んで来るような発言が多かったが、それを表に出すことを一切しなかった。国民が天皇の声を聴くんは玉音放送が初めてやったぐらいや。




 歴史に仮定は許されんが、もしか、天皇帝国議会などで自らの所信を述べる機会があったとしたら、戦前の歴史は変わってた可能性がある。これが、昭和天皇と違って凡庸な天子の発言であっても大いに結構であった。いずれにしても、天皇制について冷静に考える機会を国民に与えることになってんさかいの。




 せやさかい、「国民と共に歩んだ昭和天皇」のコラムもその点のツッコミが全然足らんと思う。「昭和天皇立憲君主に徹したために失敗し、それを破ったことによって克く2・26事件と敗戦を収拾した」て書くんが、冷静な歴史の記述やなかろうか。(つづく)