E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(72)

 マッカーサー司令官と並ぶ”Japanese Emperor Hirohito”の写真は日本国民に屈辱を以て迎えられてんけど、これにはある程度やむを得ん事情がある。




 ちゅうのんも、「詔書」の文言が難解に過ぎて、これを「天子様が愈々戦争を真剣に始める決意をしなさった」て勘違いする衆が多かったらしいねんな。「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四国ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」「然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」て書いたあんのに、「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セ」へんかってんな。それではしゃあないな。




 せやけど、健全な民主主義のためには自由な言論が欠かせんのは現在では当然のこととされとんねんけど、当時のアメリカもおかしな民主主義国家やったことは、マッカーシズムの嵐が吹き荒れたことを見たら分かるやろうのう。民主主義はヒトラーでもスターリンであっても選挙で大勝することを許容した制度であって、彼らが一方的に憲法を停止したときに国民が立ち上がってそれを阻止しやんとあかんことを教えてくれてる。




 新聞記事に「SUPPRESS」のハンコ捺して検閲するやなんて非民主的なことをしやんとあかんかったとこに、「民主化」の滑稽さを感じ取るんはわしだけやあるまいて。「墨入れ教科書」にしたとこでせや。どこが問題かも議論せんと「軍国主義的な文言である」ちゅうて蓋することのどこが「民主」やちゅうねん。少なくとも、どないな表現に墨が入れられたんか分かるようにしやんでは民主的とは言えんやろうが。




 我が国は大正期に既に民主主義の萌芽があってんさかい、ムリから民主化する必要はあらへんかった。「我々は民主主義国家を民主化しに来たのか」てアイケルバーガー中将は述懐してたそうやないか。戦時体制は民主主義をある程度理解した国民を抑圧しただけやったことを、米国将兵はしらんかってんな。でもまあ、戦時中には民主主義も共産主義も一括りにして「赤」やってんけどのう。




 せやさかい、戦後の「民主化」には相当な違和感があることを理解してもらいたい。そもそも「民主化」ちゅうのんは、国民の知的水準が一定以上に高うて、産業の発展がなかったらでけんことやちゅうことを、歴史の初学者に最初に理解させる必要がある。国民の識字率が低い段階でいきなり民主化することは即ち米国など軍事大国の植民地に堕ちることを意味する。日本が米国の半植民地で収まってるんは、国民のレベルが水準以上やからやな。「詔書」の意味を取り違えよる連中が多かってもの。(つづく)