E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(67)

 十数年前、「週刊朝寝」に司馬遼がある連載を書いてたん(司馬遼逝去後のことかも分からんが)に載ってたんやが、戦前、とある海外から来た女性に、日本が将来どないなるかを尋ねたところ、「日本は滅びる」との回答を得たそうや。何で滅びるんかを畳み掛けて問うたら、「この国の民は、比較することを知りません。比較を知らない民の国は必ず滅びます」と断定した。彼女の予言は的中し、1945年8月14日、御前会議の場にて、日本は滅亡することが決定された。




 「蒸気機関車の興亡」「蒸気機関車の挑戦」を著した齋藤晃氏は、戦前に著された「物語日本鉄道史」(博文館)や「日本の機関車」(東亜書林)を読み、日本の蒸気機関車は鉄道先進国のそれに勝るとも劣らないと錯覚させられた旨を「鉄道ジャーナル」33巻6号(1999年)に書いている。「物語―」後編の「燦然たる国産機関車発達の跡」の項では「かくして機関車製造はいち早く外国依存を離れ、しかもわが国独自の発達を遂げ、ついには外国の技術をも凌駕するに至った(中略)この輝かしいわが国産機関車発達の跡は、初め外国の指導によってできたわが国の鉄道が、ついに外国の技術から独立し独自の発展を遂げた過程を最も明らかに示すものであると言えよう(中略)機関車工業の独立に肝膽をいだいた先駆者と技術者の偉大なる功績は、いよいよ燦然たるものがある」やなんて臆面もなく書いたある。一方の「日本の―」には「しかし鉄道先進国に比べ50余年も遅れて出発した日本が、機関車製造技術において世界の水準に達し、さらに近年タイ国その他へ輸出するに至ったことを思えば、これこそ鉄道日本の勝利として欣快に絶えない」と書き結んでるそうな。




 この2著作に、冷静な「比較」なんぞ微塵も感じられへん。しかも齋藤氏によると、大正期に朝倉希一が設計した幹線最大急行旅客列車牽引機C51と、戦後暫く幹線特急旅客列車を引いた衣笠敦雄設計のC62との間に、特段の進歩が見られへんのんが日本の蒸気機関車の歴史の真実やそうや。昭和戦前の日本の鉄道技術は、当時高速旅客用機の世界標準技術やった3シリンダを我が物にすることができず、C53みたいな中途半端なパシフィックを製造するに留まった。当時の日本の工業技術の牽引役やった鉄道がこの有様では、工業力同士のぶつかり合いである近代戦争を勝ち抜くことなんかでけんわいの。




 こないな具合に近代戦争が工業力の差によって決したことすら書いてへん教科書なんぞ読むに値せんわい。全く、教科書の作り手の連中は一体どこに目ェつけとんねん。(つづく)