E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(59)

 今回は初手から少々物騒なこと言わしてもらおう。わしは前回「中国との戦争は起こらん」と書いたが、過去に民主党代表選の予想を見事におっぱずしとるぐらいやさかい、わしの予想は当たらん可能性が高い。わしはブロガー止まりで評論家にはなれん。




 生活物資の配給制は、若い頃に社会主義にかぶれた近衛文麿らしいが、言論統制は余計やったな。戦争とは学問の対象であり、これについて自由闊達な議論さえでけん国は戦争に負ける。日本が太平洋戦に負けた大きな理由はこれやがな。




 大政翼賛会発足前後、こないな評言がされたらしい。「大政翼賛会て何や。総裁の名前を逆さに読んだら『へのこ』(近衛公)やし、副総裁の名前かて『あらまたよりねえ』(有馬頼寧伯)やないか」この評言は的中することになり、議会は形骸化してしもた。わしもせめてこれぐらいの評言でけるようなりたい。




 当時のドイツ・イタリアはナチス党・ファシスト党以外の政党が禁止され(一党独裁)とったが、日本の第21回衆院選(1942年4月30日)の結果は、翼賛政治体制協議会推薦候補381議席・非推薦85議席やったさかい、絶対安定多数ではあっても一党独裁とは違うかった。せやけど、推薦候補は国費による選挙運動支援を受け、そこへ持ってきて翼賛会は選挙干渉を行い、戦後になって翼賛選挙は最高裁によって糾弾された。




 大政翼賛会は名目上は政党とは違うかった(公事結社)が、それはこの組織が明治憲法違反との批判があり、それをかわすための方便でしかなかった。そのため形式的には政治活動は禁止されとったが、隣組をも傘下に収めて国民生活を管理したれちゅう徹底ぶりであり、その点ではナチス・ドイツと大差なしと言えようか。教科書で下らん糊塗するんはやめい。




 わしが西園寺公を評価する気ィになられへんのんは、彼が「へのこ」を後継にしてしもたからである。へのこは利発な男ではあったやろうが、人物評で名高い井上成美は「軍人ならば大佐で馘」「主張がその場その場でコロコロ変わる五目飯の如き男」と酷評しとる。日中戦争不拡大方針を言いながら陸軍兵力増援を指示するなど分裂病的なことさらしとってはそない批判されてもしゃあないわな。15年戦争は物量に負けたんとちごて、要路に人を得ずして負けたと言えようか。(つづく)