E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(52)

 中国でむちゃむちゃな反日暴動が起こって、日系企業の店舗や工場がエラいことなっとるらしいが、こんなことして困るんは雇用がのうなる中国人の方やのにのう。度重なる易姓革命を経ただけあって、物事を中長期的視野に立って見ることに慣れてへん中国人らしさがよう出とるわい。




 「小学校では、個性と自主性を重んじる自由教育の運動も起こった」とあるが、そない書くからには、そないな教育がどないな成果を挙げたんかを併せて書く義務があるやろう。まあ、よう書かんちゅうことは、大した成果を挙げれんかったちゅうことの裏返しやけどの。実際、20世紀初期に流行った自由教育は現在では殆ど見る影もあらへんが、その理由は黒柳徹子が「窓ぎわのトットちゃん」を著すぐらいしか成果がなかったことからも明白やろう。




 「文藝春秋」は今でも続いており、「中央公論」も読売によって立て直されて現在に至ってるが、「改造」は1955年に「休刊」して以来復刊されてへんし(我が国では「休刊」は「廃刊」にほぼ等しい)、「キング」は「現代プレミア」や「G2]にその名残を留めてる、ちゅう具合な解説をしたった方が親切やねんけどのう。まあ、「文藝春秋」読んでる中学生ちゅうのんはブキミではあるが。ちなみにわしは「オール讀物」(文藝春秋)のオレンジ色のページが大好きな中学生の成れの果てやが。




 中学の教科書に谷崎潤一郎の作品の例として挙げられとんのんが「痴人の愛」のう。わし的には何の問題もあらへんのだが、これて文芸大作のエロ映画化の典型例なんと違うかったかなあ。




 プロレタリア文学小林多喜二特高に虐殺されたことが大きく響いたんか、後進が続かんと廃れてしもた感がある。それに筒井康隆の言うように、「蟹工船」読んだらタラバガニの缶詰喰えんようなるんちゃうかな。「蟹」はプロレタリア文学の古典的地位を占めるべき作品と思われるが、その後の発展が見られんかったんで、果たしてこの分野は教科書に載すだけの価値があるんやら。




 文化史の記述には書き手の思想も反映されやすいんで、執筆者も中立的な立場で書こうとする。それだけに的外れな記述に陥る危険があることに気ィつけやんとあかんとこである。(つづく)