E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(49)

 少々時代の流れが前後するが、原敬を「平民宰相と呼ばれた」では物足りんちゅうかおもんない。歴史は美談を載したり辺幅を飾ったりするよりも赤裸々に書いた方がオモロイ思うし、ホンマのこと違うかったら教訓にもならんのではあるまいか。




 原は自ら爵位を持たぬ平民であることを誇りとしたとされるが、政友会内部で地位を確立するまでの間に、貴族院議員たらんと運動をしたり爵位を求めたりしたことが分かってる。授爵辞退の態度は地位確立後で、この原の強かな計算と政治的嗅覚の鋭さは特筆すべきやろう。




 原内閣の功績は、外交面では対英米協調外交と段祺瑞政権援助打ち切り、内政面では高級官僚の自由任用拡大とそれに伴う無能な知事の更迭や郡制廃止など、藩閥政治と一線を劃した官僚機構の構築である。また、山県狂介の「高等教育普及は皇室の存在を危うくする」ちゅう反対を抑えて大学を拡張したこととかやろう。山県の愚民化政策支持は皇室と藩閥あるを知って国家あるを知らぬ、日本のアホ政治家の典型的な姿やろう。現在でも派閥と党と利権あるを知って国家と国民あるをしらんアホ政治屋は多いが。




 せやけど失政も多い。国内交通網整備は悪ないが、いわゆる「我田引鉄」で、政党による利益誘導政治をおっぱじめたんは原であることは是非とも抑えとかんとあかん。大船渡線の不自然な線形がこのブサイクな例の動かぬ証拠やな。




 結局原は東京駅で刺殺されることになったが、その凶刃の因は男子普通選挙に反対したからとちごて、いわゆる政商寄りの政策や疑獄事件の連発で右翼の憤激を招いたことやないかとされる。尼港事件勃発もこの火に油を注いだ可能性もある。




 原内閣が思わぬ恰好で倒れてから非政党内閣が続き、護憲三派による加藤高明内閣から再び政党内閣の時代やと書いたあるが、田中オラガビール義一は政友会総裁とは言え長閥の予備役軍人で、純然たる政党内閣には程遠かったがな。ここにもこの教科書の乱雑な記述を見ることがでける。(つづく)